上海焼きそば

 今日は帰って、メシを喰うかと思ったが、お腹が減ってたまらなくなったので、荻窪で降りて、「18番」へ。年中無休になったはずが、また休んでいる。やけくそで吉祥寺まで歩いて帰ろうかと思ったものの、いかんせん腹ぺこ。で、荻窪で喰おうと思ったら、北口出た、露天の焼き鳥が出ているとなりのラーメン屋が目についたので、そこに入った。味噌ラーメンを注文。ラー油がコップに入っており、スプーンがぶち込んである。色は真っ赤で、なみなみとかけられ、なかには猛々しいとんがらしが見える。(・∀・)イイ!!と思った。昔を思い出してなつかしかった。横浜の一品香が野毛大通り交差点角にあった頃、そこのラー油はヨーグルトの瓶に入った猛々しいものだった。横浜野毛界隈の湯麺、ニラレバ、やきそばの原型はこの野毛の一品香からはじまった。そんな懐かしさが、この店にはある。
 で、店のメニューをもう一度見ると、たしかにありました。炒麺が。うーん、これはやっぱり炒めた上海焼きそばなのかなぁと思っていたら、白髪とハゲ頭の2人のぢぢいが入ってきて、炒麺を注文した。おお!と思い、しばし厨房に注目。そしたら、やっぱり出ました炒麺の麺。給食のソフト麺をもう少ししっかりさせたようなもの。私はこれが好きで、中学高校はうどんで代用し、毎日つくって喰っていた。大学入試の前日も、当日も、ニンニクをタップリ入れて、これを喰った。はたして、そういう炒麺が「はいよ!」と出てきた。私は思わず魅入った。もう釘付け。ぢぢいたちは、手慣れた手つきでスプーンでラー油をかけて喰いはじめた。
 ハゲの方のぢぢいが「あー美味い。なつかしい味だ」などと話している。「学生時代さ、よく喰いに来たんだよ。ホントなつかしくて、美味い」。おおおお。ぢぢいナイス思い出話!と肩を叩きたくなるような展開。ぢぢいたちは、間違いなく60歳は越えている。ということは、この店は少なくとも、40年ちょっとの伝統があることになる。となりの屋台の焼き鳥にしても、荻窪銀座通りあたりの入り組んだ細い道の街並みといい、吉祥寺北口の闇市あとといっしょな空気がここにはある。*1
 喰い終わったぢぢいたちは、満足そうにシーハーヤリながら出ていった。今度はきっと炒麺を喰ってみようと思った。長崎というか、佐世保でジモピーに案内してもらった中華料理屋の皿うどんというのは、この上海焼きそばに似ている。*2あれも美味しかった。皿うどんというと、パリパリかたやきソバみたいなのが普通と思ってきたので、意外さに驚いた覚えがある。
 ジョン・L.カスティ『プリンストン高等研究所物語』(青土社)をめくる。プリンストン高等研究所といえば、アインシュタインだとかゲーデルだとか、ものすげぇ知性が集まっていたところで、科学を志した人は一度は憧れたところであろうと思う。美しい写真で装丁したカスティの本は、手にとっただけで、学問の魅力というものを訴えかけてくる存在感がある本である。12月発売だったはずだが、吉祥寺のロンロンの本屋にはすでにならんでいた。イーエスブックスの解説より。

 大インテリは、自分の知らない事柄に直面したとき、どう対処するのか−。アインシュタインゲーテル、オッペンハイマーなど、超一流の知性だけが召聘される研究者の理想郷プリストン高等研究所。その静かな学究的雰囲気が、フォン・ノイマンによるコンピュータ開発の画期的プロジェクトをめぐって沸騰する。未知なる観念と構想に関わる激論によって浮上する、科学者の社会的責任、そして知識の限界という究極の認識がいみするものとは−。科学とは、知識とは何かをめぐるサイエンス物語。

 ペラペラめくった程度だが、それなりに読める本である。が、萌え萌えではない。決して読みにくい本ではないのであるが。  

*1:故郷の横浜野毛も闇市の街だ。そのころ藤森俊輔少年(小学生?)は闇屋の野毛で手伝いをやっていたらしい。うちの父親はそこをパトロールする巡査だった。

*2:チャンポンは湯麺に似たところもある。