小谷野敦『評論家入門』

 横浜に帰り、かなり遅くまで寝てしまった。「アヒルご飯=ブランチ」を食い、散髪に行く。しばらく忙しくて、横浜に来なかったので、髪は伸び放題。下手するとまた二頭身化するのでチャキっと刈って貰った。床屋さんの向かいはコリアン食堂『金玉満堂(きんぎょくまんどう)』というのがあって、いつも行くたびに笑ってしまう。一昔前なら写真にとって速攻VOWに投稿したところである。ただし今はつぶれてしまっている。このあたりもソープ街。床屋さんで聞いた話だと、二件となりはなんでも有名なソープらしい。全国で数個ある流派の家元的なところなんだそうだ。付近には私の同級生のうちが経営していた店なんかもいくつかあった。同級生もたくさん住んでいて、福富公園は遊び場。自動ドア踏んで「やーい893」などと、わけわかめなこといって、今で言うピンポンダッシュしていたこともある。福富町には、新開湯というものすごく大きな銭湯があって、宮川町のくにの湯がやすみだとそこに一家で行くのが楽しみだった。ネオン街を通っていくと、夜でもものすごく活気があって、なんかワクワクした気分になった記憶がある。なんてことを考えていると、散髪終了。さっぱりしたが、伸びた髪に隠れていたかっぱっぱ状態が顕現して、笑ってしまった。
 床屋の後は有隣堂本店へ。ここで立ち読みをすると、なんか勉強の意欲が高まる気がする。とりあえず新刊図書だけチェック。文芸書では中島敦の評伝がひときわ目をひいたが、立ち読みして済ませた。たぶん買ってもそれほど熟読しないのではないかと思った。都電路線を全部写真入で解説した本は買おうかすごく迷ったが、地図入りではまると仕事ができなくなるのでやめる。社会学書では、パラサイトやまだの新刊が目についたが、今度テキストにでもしようかと思い一応スルー。そして、新書文庫では、毎日出版文化賞に輝く講談社文芸文庫から出ていた小林信彦の作品が目をひいた。まるで『ニューヨーカー』の小説のようという殺し文句に心は動いたがこれも立ち読みでやめる。で、結局帰ろうかと思っていたところで小谷野敦『評論家入門ーー清貧でもいいから物書きになりたい人のために』(平凡社新書)。その場で一通り立ち読みした。まず自伝的部分を読み、それから有名評論書でミシュランしている部分を耽読し、後は最初から最後までぺらぺらとめくった。ぜひ欲しいと思い、買ってしまった。帰って味読した。
 チョットきいたふうなことを言えば、章トビラの活字が眼にとまった。チョット平たいカンジの活字。女を泣かせてみたいとか愚民論だとかの表紙を思い出す。この著者のお気に入りなのだろうか。なかなか美しい装丁の本が目立つ著者でもある。もちろん評論家になりたいと思って買ったわけではなく、著者が自分史を語った部分と、ミシュランな部分にひかれたからである。語学のセンスがなくて苦労したなどと、書いてある。馬路かよと思う。東京大学に合格する英語力があり、さらに英文科にすすみ、大学院に進みって人が、できないとかセンスないとかフツー思うかなどと思う。また、不遇などと書いてある。30手前に本を出し、有名雑誌に文章が掲載され、大阪大学助教授となり、酒乱な椰子にねたまれていじめられるとそれにしがみつくこともなくスパッと辞めてしまえるだけの人が、不遇などと思うかなどと思う。しかし、そんなことを言われるのは百も承知というカンジなんだろう。同窓の人々の活躍ぶりやうらやましく思った気持ちなどがサクッと書いてあり、これならそう思うのも無理ないかなぁとも思わないことはなかった。
 評論ミシュランの方は、暴言だと怒る人も多いのだろうが、私的には今まで思ってもいえなかったことがザックリ言ってあるような気がして、けっこう禿げしく同意であった。著者の思想も考え方も感じ方もなにもかも共感できるわけではないし、悋気に罵倒するスタイルは萎える部分もあるんだけど、小林秀雄について言っていることと、吉本隆明について言っていることは、罵倒だけじゃなく、ほめている部分、かつてはまったという部分なども含めてけっこう共感しながら読んだ。この本の最後の方にも、前にブログで話題になった商業出版を目指さずネットで自己表現をして自己完結することに対する言及がある。著者は僅かな原稿料でも商業出版を目指せと言っている。この言い方は、誠実なものの言い方だと思った。