卒論指導の一コマ

 これからますます卒論指導が忙しくなる。(・∀・)イイ!!ものができてくると、こちらもつい夢中になる。人の論文なのだけれども、面白い主題は想像力をかき立て、いろんなアイディアを出し合って話す。これは非常にエクサイティングだ。どうしても学生の関心を高めようとすると、厳密な手続きをふませて、その厳密さを身に浸みるように指導するというよりは、暴論に近いアイディアの出し合いになりがちだ。
 今日相談の一人は、「対人魅力」について考えている人だ。理論化について、けっこう悩んでいた。しかし灯台もと暗し。その人は、ホックシールドなどを、春頃に調べていた敬意がある。でもって、「感情規則」じゃなく、「魅力の規則」みたいなのを問題にしたいみたいな話になり、おお!1それは(・∀・)イイ!!という話になって、かなり盛り上がった。これで理論の方はほぼかけるだろう。ちょっと応用してひねればいいのだから。たぶんこういう造語チックなマネをするとものすげぇ怒る先生もいると思うんだけど、うちのゼミでは奨励している。昨年もホラーの社会学をやった椰子が、「恐怖の規則」という言葉を案出し書いていた。自分で「でっちあげちまった」とかゆっていたのはけっこう笑ったけど。
 今日のもう一人は、「住空間」についてやっている椰子だ。インタビューを試みている。マンションの個室ならび奥リビングキッチンタイプに住んでいる家族と、上京し、ワンルームに住んでいる若者の調査。後者は、郷里の自分の部屋が、ワンルームに移築されたような生活を送っているみたいなことが、仮説としてあげてあった。他方、前者は個室化によって、団らんが破壊されているという仮説。二つはバラバラで、なんじゃそりゃってかんじだったけど、調査をしてみて、「間取りが人間関係をつくるのではなく、人間関係が空間を分節し、意味世界を構築するのではないか」的な話になってきて、困った困った逆になったとかゆっているので笑っちゃった。むしろそのほうが、バラバラだった二つの仮説が統一的に解釈できるジャンみたいな話になり、議論しているうちについに話は現象学的地理学の話に。知りもしないのに「ウィスコンシン学派はさ」とか、知ったかこいてはなすと、「ふぅ〜ん」とかゆって聞いている。こちらも議論としてはなかなかスリリングだった。
 まあ厳密さちうことから言えば、かなり放縦な話ではあるが、厳密にやる、のびのびやるなんでもいいけど、教師の学問に触れ、ワクワクするような学問のさわりなりを味わってくれれば、それは将来に向けて種をまいたことになるのではないかと思っている。毎年、「面白くなってきたところで提出かよ」と、ぶぅぶぅゆう椰子はけっこういる。まあしかし、そのくらいのところでやめるのがコツではないかと思う。誰の本だったか忘れたけど、読書法で次のようなことがあるらしい。「本はきりのいいところまで読むな。先まで読みたいってジリジリするようなところでやめろ」ってこと。つまりきりのいいところまで読むと、ひょっとしたらそれ以上は読まない可能性もある。ところが、ワクワクするところでやめたら、必ず続きを次の日読みたくなるちうはなし。まあアテクシの場合、どんな読み方しても、だるければあと読まない。困ったモンである。
 卒論指導のあと、ノドが痛くて熱っぽくてだるかった。しかし、今日は凶暴な気持ちになっていたので、泳いで治しッたると気合いを入れて、ジムへ逝く。でもって、1500メートル自由形でノンストップ遊泳。さすがにでてきたら、ふらふら。自転車でよろけるし。ヤバスギ。明日朝起きて、高熱だったらどないしようか。昔は38℃くらい熱があっても泳げば治ったし、フライ用のカキを酢ガキで食ってもなんともなかったし、スケートで転んで手の骨を折って、気づくのに数日かかったこともあるし、無茶がきいたんだけどね。情けない話だ。