クニール&ナセヒ『ルーマン 社会システム理論』

 プールに行き、最近太り気味なので、いつもより多めに泳いで、帰ってきた。で、テレビをつけたら、ワールドカップの予選が始まっていた。見のがすところであった。と言いつつも、2chの中継板、ブログ、音楽と異ジャンルザッピングである。
 で、クニール=ナセヒだが、なにを今さらとか、やはりこの椰子は今ごろこれを読んだのかとか、言われるだろう。あるいは、宮台本テキストにしたから、学生への配慮かと思われる人もいるかもしれない。いろんな事情があり随分前に買って、さらっと読みましたよ。一応。これといわゆるババボンだけは読みますた。たしかにこれはわかりやすいと思います。ヴェブレン研究のドーフマン本とか、ミルズ研究のホロヴィッツ本とかみたいに、後の研究書の「ネタ本」*1になるということもないんだろうけど、まあ普通これ読むでしょ。でかい本とか、ムズイ本とか、読む前に。一応熱心なゼミ受講者のために、紹介くらいはしておく必要があるんじゃないかと思う。
 けど、言及した理由は違うの。訳者の一人池田貞夫氏について、思い出を語りたかったわけです。私は、大学二年生の時に哲学の講義をとっていた。なにを自慢げにというかもしれないけど、哲学は「三理一哲」(論理、倫理、心理、哲学だったかな)と言われた、一般教養の怒シビアな講義だったわけ。半期が学部恩師の岩崎允胤先生、半期が池田先生だった。岩崎氏は、教養ではギリシャ哲学の歴史を講じていた。たぶんヘレニズムとかのほうが、専門に近かったんだと思うけど、そこは禁欲してソクラテス以前を非常に詳しく語って下さった。池田先生は、近代哲学史を語って下さった。
 ともかくものごとをかみ砕いて説明してくれるので、感嘆した覚えがある。細かいこともないがしろにせず、一切流すことなく、丁寧にかみ砕いてゆく。「難しいこと以外は端折って先に行って欲しい」などと言う人もいたけど、その学問姿勢に私はともかく感心し、この講義だけは毎回出た。午後の授業だったが、起きるのが大変だった。だって普段は夕方起きるんだから。私はこの先生と話したいと思い、当時先生が勤めていた東京教育大学の研究室に何度かお邪魔した。なにが話したかったというわけでもない。なんか自分の勉強を吐露して、認めて欲しいという、無様な自己顕示欲だけだったと思う。他校の先生の研究室にお邪魔したという、優越心みたいなものが欲しかったとも言える。
 池田先生は穏やかに話をきいてくれ、私の混乱した思考をバカにすることなく、丁寧に整理して下さった。お忙しいなか、わけもわからず話に来る学生に、貴重な時間をかけて下さったが、最後にピシッと言われたことが、脳天に突き刺さった。「昔スミスで卒論を書くという学生がいました。何度も何度も話に来て、だらだらと自分の話をしたんです。読んだ本の話とか、まとまりもなく話をしていました。私はだんだん腹が立って、怒ろうと思いました。しかし、我慢して話を聞き続けました。で、卒論をみてびっくりしました。スミス研究の歴史を塗り替えるような論文だったのです。怒らなくてよかったと思いました」などとニコニコ微笑んで、おっしゃいました。私も、この先生は京都の出身かなあと思った記憶があるので、うすうす感じていたのですね。しかし、この言葉は印象深く覚えています。
 クニール&ナセヒを見ると、先生の語り口を思い出します。一文一語に、先生らしい丁寧な理解が込められているように思います。原著と照らしていませんので、訳文の定評はわかりません。ヘーゲルやイギリス経験論の研究者が訳したルーマンということについての評判もわかりません。私には、本を丁寧に、しかしこねくり回すことなく読むという、学問的読書のあり方を説いた本として、この作品に接してきました。 

*1:ヴェブレンなんかマジそうだからなぁ。宇沢弘文とかみたいにきちんと言っている人もあるけど。