天皇はなんとアニマル浜口を知っていた

 今日は社会学概論の日だ。早起きして、目覚ましテレビを見る。そしたら、昨日五輪メダリストたちが、皇居を訪れたという話をニュースとしてやっていた。一番笑ったのは、女子レスリングの浜口京子選手。「父を両陛下が覚えていてくださって、感激しました!」と、元気印な感想を述べる。「父の『気合いだ!!』も覚えていてくれて」。アナ「それは、天皇陛下がおっしゃったのですか、皇后陛下ですか」。オイオイその質問はまずくねぇかと思ったら、浜口選手顔色ひとつ変えず元気印な笑顔で、「それはよく覚えておりませんが」と気合いな回答。まさに、グッジョッ!!そのあと、中年の☆のアーチェリー銀メダリストのおっさん。「ロスのあと、昭和天皇とお会いしたときは、ピンと緊張感がありましたが、今回はなごやかで、一定の変化を感じました」と率直な回答であった。昭和天皇のカリスマ性は、伝説となり、「あ、そう」にも何十通りの意味があるなどとも言われていた。しかし、今の美智子皇后のカリスマ性も目をみはるときがある。たとえば阪神淡路大震災の時、いろいろな人が被災地を訪れたが、皇后に勝る姿をみせた人は一人もいなかったと思う。バスの中から、手話で話しかけたときの姿は、圧倒的な存在感だった。
 日本において、皇室系の話は、やはりおそれおおいことという雰囲気があるようで、前任校でもあの先生が天皇制批判していたなんてことは、たちまちのうちに話題になっていた。今の学校ではそれほどでもないが、概論のあとの二年ゼミで、市民社会と国家の話をしたときに、「どんなときに国家を感じるか」という問題提起をする椰子がいて、やはり筆頭にあがったのは、こういうおそれ多い系の話だった。一人お笑いヲタがいて、鳥肌実はかなりやべーっつー話や、GO!ヒロミ44'がエンタかなんかのオーディションにでて、やばいネタふって出場停止になったとか、ライブはものすげぇだとか、けっこう面白い話を聞いた。自粛自粛自粛だった、昭和最後のセフィーロなひと盛りを思い出す。
 そーいや、あきしのみやさんとけつこんした、キコさんは、心理学系の学会に来ていたらしい。そこで私の先輩が、キコさんに会った。なんかジュースかなんか飲んでいて、ゴミ箱がなく、あわてていたみたいで、先輩のところへ来て、缶を渡したらしい。もちろん、捨てるところがなくて、すみませんがちう、「お言葉」もたまわった。先輩は、クリティカルというほどでもないけど、「缶ぐらい自分で捨てろよなぁ」くらいのことはゆっていた。私「缶は捨ててやったのですか?」。先輩「もちろんもちかえり、飾ってあるよ。うやうやしくマジックでその旨銘記して。馬路カヨと思ったけど、話としては面白いことは面白い。
 あるいはまた、学習院に行っていた同級生は、皇太子殿下が、いつも学食でカレーを食べていたとか、挨拶するとどんな人にも挨拶してくれたとか、馬鹿が調子に乗ってシュタッと手をあげ「いよう!」と挨拶したとか、アホな話をいろいろしていたが、こっちの方は真偽のほどはさだかではない。こういうネタは、「畏れ多い」という気持を日本人の中につくりだす。そういうときに国家を感じるというのが、ゼミでの顛末だが、私は一応反論した。やっぱり国家を感じるのは、税金を払うとき。給料袋を見て、思わず思う「税金がなければなぁ」。まあそれでも無駄遣いするくらいならと思わないこともないけど、消費税なんか一律じゃなくてもいいんじゃない可ねぇ。買い物カードを、申請により自由な消費税率にできる。でもって払った分福祉が将来受けられるとか。そんなことするくらいなら、貯金したり、自分で民間の保険かけろと言うかもしれないけど、使いたいジャン。あと、5割とかの税率設定すれば、節約するかもしれないし。5割の税率だとすると、学食のメシが900円になる。戦慄が走るかもね。
 午後はずっと卒論指導ですた。