車谷長吉『愚か者』ほか

 朝から雨が激しく降っている。親は法事で外出ということで、書評原稿の推敲を行った。ボールペンは、三菱パワータンクの廉価版赤インク。このボールペンは、つるつるでも、上にむかっても書けるという性能のよさで、これが出てからというもの、クロスもパーカーもへったくれもなくなった。これを上回る書きやすさ、性能のものはないとすら思う。店にないので、学校の購買で注文して買ったこともあるが、横浜の有隣堂本店は常備している。もともとは1000円台の黒インクのみだったのが、廉価版で色インクもでた。で、校正ほかはもっぱらこれになった。一通り赤を入れて、タイプしなおし、もう一度プリントアウトして、松坂屋の喫茶部に出かけた。混んでいたら、上の階に行こうかと思ったけど、一階もあいていたので、そこに陣取り赤を入れた。一通り見終わったあと、満足した気分で有隣堂で本を見た。男性作家のコーナーに私小説新作二冊。一冊は車谷長吉の『愚か者』、もう一冊が佐伯一麦の『草の輝き』である。
 どちらもなかなかにこった装丁の本である。後者は、色鉛筆だかクレパスだか、そんなもので小さな花が描かれた真っ白な装丁。前者は、真っ黒な箱に、銀色の文字で愚か者と殴り書きがしてある。副題が畸篇小説集。「お前も勉強しないで、あそんでいると、くるまたにさんみたいになってしまうよ」と白いロゴ。そして銀の文字で「生きることの修羅と恥辱」などと書いてある。この箱には背がなく、どっちからも本が入る。なかは白い表紙で、水彩画みたいなので、蜘蛛とくるまたにさんと思しき人が描かれている。
 買って帰って、ぺらぺらとめくったら、蓄膿症の膿が頭蓋骨の微細な空洞にまでたまっていって、でもって骨が溶解したやつを、カオの皮ひっぺがして手術するというくだりがあり、エェェェ(´Д`)ェェェェエと思って、初出一覧をみたら、新潮文庫で出てる短編集から数個ずつもってきて、そのあとに『野生時代』にのった4篇がおさめられている。おいおいおいと思ったけど、新作4篇読めて、かつこの装丁なら高くもないかなぁと思い直した。で、その新作を一通り読んだ。「夜尿」「川の上の家」「爬虫類様」「川向こうの喜太郎さん」の4篇。私はこの作家の赤裸な告白、修羅と恥辱が好きというよりは、物語のあちこちに配置されている鮮烈なイメージにひかれる。例えば、映画にもなった『赤目四十八瀧心中未遂』なども、真っ暗がりのかび臭いアパートでモツをくしに刺す主人公や、かみそりをやわらかで繊細な二本の指でつまみヒュッとハトの目に命中させる入れ墨師や、男と交わりながら念仏を唱える老娼婦みたいな、断片にひかれるわけです。そんな意味では、幼馴染の女性の宿命的な生の軌跡を描いた「川の上の家」に出てくる、川に糞尿垂れ流すボットン便所のイメージは鮮烈で、しかも作品世界をその一点に結晶化していて、すげぇもんだと感心したのであります。
 福田和也氏が、この作家を「こけおどし」と形容したのは言いえて妙で、たぶん悪い意味で言った部分もあると思うけど、逆に面白みを際立たせる結果になっているような気もしました。『赤目』を「ハードボイルド」と形容したのもすごいことで、やっぱ批評家になるような人はこの辺の言い方がキマッテイルなぁと感心するのであります。
 しかし、くるまたにさんは、なんでこんな本をだしたのでしょうか。実名記載した小説が問題になったり、かなりかまびすしいなかで、角川書店から本を出し・・・とまあ、ヲタな詮索をするのは、愚劣のきわみかもしれないわな。くるまたにさん、なんか決意でもしているのでしょうか。『赤目』で「ハードボイルド」だったくるまたにさんは、今回の「川の上」ではかなりへなちょこでもあり、新境地開拓な予感もするものの、黒い装丁の箱をみてみると、値段とかバーコードが、ロゴがあるほうにかいてあるの。これって、実は真っ黒で何もないほうが表紙なのかな。いずれにしてもけれんみたっぷりな自己語りであり、作品の選択もよくみるとなかなか興趣あふれるものがあるのでございます。