大学院進学の思い出−−プール社会学者論を読んで

 id:using_pleasureさんのブログでプール社会学者論を読んだ。アテクシは頭も禿げかかってきているコアなおやぢなわけだし、おやぢはおやぢらしくものわかりの悪い、うぜえ存在であるべきなんだろうと思うことは思うわけだけど、「ヌッ壊せ」みたいなノリノリは、カタルシスにぷハァ〜と生ビール飲んだ直後な快楽で停止しない限りは、それはそれで共感できるものがあります。松田素二氏の本を読んでからは、「ヌッ壊せ」より「飼い慣らせ」の方によりひかれることはひかれるけど。やっぱ大学院という進路を選んだのは、自由に好きな勉強をしたいということが一番だったと思う。ゼミの多くが進学するゼミだった。っつーか、卒業しないの。以前言ったと思うけど、アテクシの学年は、ゼミの全員が留年。その半分がさらにもう一年といったゼミだった。半数が進学した。大学院の先輩たちは、全国の大学から来ていた。勝ち負けにこだわり、ウレセンで仕事をするみたいなことがあると、ケロケロになるまで叱られた。学位や著作より、テキストに沈潜せよみたいなカンジ。みんなプーに近いんだけど、段違いに英語、ドイツ語、フランス語、ラテン語などができる人がずら〜〜〜っといて、理論は読み込んでいるし、元活動家とかいるから妙に世間の裏側とかも知っているし、怖かった。
 だけどみんな親切なんだよね。週に何回もドイツ語のゼミとか、英語のゼミとか交替で面倒を見てくれた。合宿にもついてきてくれたし。大学院受験のためのドイツ語公式集を作ってくれた先輩もいるし、模擬試験をやってくれる人もいた。その挙句のはてに、飲みに行ったりするとおごってくれるようなこともあった。「先送りだから。後輩にやってやれ」とかゆって。だけどこの人たち、めったに論文かかなかったね。書いても研究会で叩かれボツにされたりしていた。こういうのが本物だと思ったし、勝ち負けで論文や著作を出したり、まして弱肉強食の研究ゲームをしてはいけないなどと、思っていた。みんなそうだったよ。後に『社会の窓』という素敵なネーミングの本を出したとある後輩は、ダントツの成績で院入試通っていながら、面接で「ぼくなんか資格ありません」とか懺悔して、話題になったりした。ペリッシュオアパブリッシュは、恥ずべきことみたいな雰囲気すらあった。
 アテクシも進学するときは親に「裏表やって10年、それでも定職が得られないこともある」というふうに言いました。親は「自活できればいいんじゃないの」みたいな雰囲気。留年してこれが最後と院入試を受けたときは、「落ちたらもう一年やったらどうだ」と言っていた。すげぇことしゃあしゃあと言う親だと思った。まあ自分らが小卒とかだから、ガキには進学させられるだけさせてやれと思ったんだろうね。すげぇできる後輩とかが、親に反対されて進学できなかったのと対照的だ。そんなわけで、自由に好きなことをするために大学院に入った。ゼミもかわって哲学ではなく社会心理学になったんだけど、ここの先輩が輪をかけた自由人ばかりだった。佐藤毅氏は、ペリッシュオアパブリッシュの人で、よく説教されたけど、その後は「就職なんかなくったってイイジャンかよなぁ」などと悪口言ってうそぶいていた。当時はバイトも多かった。家庭教師と塾で私は月に10万円以上稼いでいた。奨学金とあわせると十分生活できたし、奨学金がなくなってもなんとか生きていく自信はあった。
 で、てきとーに大学院生して、勉強ばかりしていて恋愛の仕方もろくにわからず玉砕して、放蕩して、精神を病んで、よくわからないままに修士論文からやっとのことで二本活字にしたら、悪運強く就職決まっちゃった。ありえねぇ話でしょ今では。昔はそうだったの。論文なし、っつーか修論のしで就職した人もいるのよ。修士四年制大学の非常勤やってたのもいるし。運がよければ、なんでもありだった。逆に岩窟王みたいなのもいたけどね。
 こういう人間が若い人に接する場合、三つくらいの方法があると思う。第一は、ものわかりのいいカオをすることである。てきとーにやってれば、そのうちなんとかなるよ。おれたちもそうだったし。今は冬の時代だけどさ、景気がよくなれば風向きも変わるよ。大学が急に増えたころの人たちがそろそろ定年になるしさ。みたいなことをいう方法である。第二は、ものわかりの悪いおやじに徹する方法である。やっぱそういうことを言わなきゃいけない立場なのかなぁとも思うし、今の就職事情を冷静にながめれば、ペリッシュオアパブリッシュと言わなくちゃいけないのかなぁ。まあそういう立場にないから、そんなうっとおしいことを無理に言う必要もないわけだけど、ともかく偽善はいけないなぁ、とまあ、そんなことを言うやりかた。第三は、就職とか論文書くとかはそれぞれの問題だし、そんな個人的なことに言及するのは、ハラスメントに近いとも言える。出てきた作品を、かたちのいかんをとわず、応分のやり方で、対等の立場で議論しあうみたいなスタイル。
 基本はもちろん第三というのは、誰もが賛同する理屈だろうとは思う。しかし、シビアなモラリストに「ちげーんじゃね?」とかゆわれると、やっぱものわかりの悪いことを言うべきなのかなぁなどとも思ってしまう。二枚舌の要領のいいヤツだけが、分け前にあずかる現実がある。まあしかし、それもありかなぁっておもうのは、松田素二の「飼い慣らす文化」、スペルペルの「横領する文化」などという曲線的なスタイルが、けっこういけてるかもと思うからである。やっぱこれが原点なんだろうなぁ。
 岡山でミニシアターを立ち上げた人は、巧みにアート系の敵みたいな興業者組合にも入って、他方でアート系のチャンネルから作品入れて、かつ「これは趣味だから」とガス会社の社員をやめない。日本で二番目に古いライブハウスをやっている人は、映画技師で、FMでDJもやって、美術館の展示企画なんかもし、映画も撮って、写真家でもある。はだか祭りのお寺でロックコンサートやった人は、もともとはメジャー映画の脚本家で、専業主婦になって、喫茶店はじめて、飯屋もやって、デリバリーも始めて、イベント会場もつくった。大学サークルの延長線上みたいなところで、映画を語ったり、上映会やっている人もいた。この人たちは「プール」じゃないんだと思う。同じ観点から言って、社会学はどうなるのと言うと、一番最初に思い浮かぶのはやっぱり元理系で、ベーシストで、社会学好事家で、いろんな研究会にも顔を出し、50歳以下の多くの社会学者に認知されていて、ホームページとかで喰っている人かしら。先輩で、坊主で60歳くらいになると思うけど、一応ODというか、スーパードクターな人もいる。パーソンズやっていて、訳書とか出している。会社やりながら、相互作用論やっている人もいるし。
 大学は大きく変わっている。金とりゲーム、研究ゲーム、教育ゲームにしのぎを削る。さもなくば、ペリッシュ!!つまんねー。じゃあさ、喰うために社会学教師やって、日曜社会学しかねぇかなぁ。