佐藤郁哉・山田真茂留『制度と文化:組織を動かす見えない力』

 さあ、授業だと早起きをする。昨日はあいかわらず遅かったのだが、やはり朝は新鮮な空気がさわやかだ。ベランダに出ると、やるぞという気になる。毎朝早起きをし、まず研究をしたころを思い出し、もっと頑張らなきゃなぁと思った。で、事務確認で非常勤で行っている短大に電話したら、なんと授業は来週からだという。とほほほほほほ。嗚呼、早起きin vain。東急インの朝食バイキングでも食べようかと思ったけど、眠いので二度寝した。でもって本務校に出勤し、学食でブランチ後、研究室へ。そしたら、山田真茂留氏より『制度と文化:組織を動かす見えない力』(日本経済新聞社)が届いていた。前に「本をくれたらブログに書く、ニャハ」とか書いたのをごらんになっておくって下さった、わけないと思うけど、なんかあれ以来以前よりはずっと本をもらっている気がする。いずれにしても、過分なご配慮をいただき、申し訳ないと思った。「ニャハ」についてマジレスしておきますと、私は古くさい義をかなり重んじる人間ですから、「本出しますた」とかメールいただければ、必ず買います。「ニャハ」は冗談です。断じて。
 それはともかく手に取ってみただけで、スゴイ力作だということを感じた。この本は、科学研究費研究「学術界と出版界の制度的関連構造に関する文化社会学的研究」の成果の一部であり、また一橋大学を研究拠点としたCOE「知識・企業・イノベーションダイナミクス」の一環でもあるということで、新しい研究の胎動が生み出した最新成果であるわけだ。付言すれば、佐藤郁哉氏が、秋の日本社会学会でゲートキーパーに照準し、同研究の関連成果を学会報告されることは、プログラムにも掲載されているとおりである。母校と関連した研究でもあり、こういう時代になったのだなぁと、感慨深いものがあった。おそらくは、いくつかの賞などをとらないと、オトシマエがつかないだろう。これはお世辞でもほめ殺しでもなく、私は新しい試みを熱心にやっているのをみると、理屈抜きに(・∀・)イイ!!と思うのである。表紙に書いてある文章と、目次を引用しておく。

 強すぎる企業文化は組織を硬直化させ、制度的枠組みへの埋没は企業の存続を危うくする。−−企業経営にとって、文化や制度は両刃の剣になりかねない。効果的な組織運営をはかるためには、文化による「呪縛」がもつ危険性について認識する一方で、組織内外の文化が秘めている潜在力を最大限に生かしていかなければならない。/常識を覆し、革新を生み出せるか?それとも、旧いルールに縛られ、呪縛に陥るか?組織内外に潜む“見えない力”の論理を解き明かす。
序 章 制度と文化のレンズで見る企業社会
第1章 企業文化論ブーム・再考
第2章 組織文化の光と翳
第3章 組織アイデンティティのダイナミックス
第4章 組織理論におけるパラダイムシフト−−効率性モデルを超えて
第5章 新制度派組織理論のエッセンス−−組織は流行にしたがう
第6章 新制度派組織理論のレンズで見る企業社会
第7章 文化の呪縛からの脱却−−社会化過剰の組織観と人間観を超えて
第8章 文化の起業家、制度の起業家−−複合戦略モデルの構想

 組織論の研究動向をビシッとレビューして、イシューを提起し、新しい動向の紹介整理と、独自の見解の提起という、模範的な構成になっており、その内容を凝集するかたちで、タイトルがつけられている。一線級の人々の理論構成と理論展開は、非常にキマっているとあらためて思った。そりゃあ、このクラスになればあたりめえだよなぁ。うちのゼミ生といっしょにするのは失礼ですわなぁ。すんまそん。w 
 おまえに組織論なんてわかるのかYOとか、口の悪い岡山大学の教え子などには、皮肉を言われそうだけど、ンなモン、専門家が理解するほどには理解できるわけねぇじゃん。ミルズの関連で、ヴェブレンはかなりちゃんと研究しているし、エアーズというミルズの師@テキサスも、制度派と言えば制度派だし、ウィスコンシンも制度派と関連しているわけだけど、新制度派は別物で、その辺はわけわかめなの。ただ、サブカルチャーの研究調査を始めたときに、金子郁容今井賢一といった人のネットワーク組織論を、共生社会の文化という観点から読み直したころのことを思い出した。大村英昭氏が林敏彦氏らと『文明としてのネットワーク』という共同研究を発表され、学会でシンポをしたりしたころのことである。私が一番関心を持ったのは、あるエピソードである。金子氏が『ボランティア』で、「車椅子を押させてやっている」と言ったばあちゃんの意見なんかを紹介していたのである。市場的な関係、福祉救済的な関係などとは違う、新しい関係性として、ネットワーク組織をあげていることに少なからず感銘を受け、でもって今井賢一氏の情報ネットワーク論とか、中小企業などのことを書いた上記ネットワーク組織論などを読んだ。
 そういう本は、多くの知的刺激を与えてくれたけど、そのまんまになっていた。その後で、学会で川崎賢一氏などの話を聞く機会があり、文化行政だとか、文化産業だとかいう議論に関心を向けるようになった。しかし、川崎氏の議論は例外的に面白いのだが、あとの議論は萎えるものが多かった。昨年の関東社会学会の「文化の社会学」シンポで、パネラーの一人が「文化行政とか文化産業の話は、はっきり言って面白くないものが多い」と喝破した。胸につかえていたものがとれて、まさに快哉だった。しかし、他方で、コンテンツ産業関連の人たちの話を聞いていると、文化の社会学などに対するぬぐいがたい不信感があることを感じた。これは単に、CSなどへのイデオロギー的な不信感とだけではないと思う。つまり、社会学がなんとも言い難い隘路に迷い込んでいるというような、もどかしさである。
 本書はもちろん「企業文化」について議論した本であるから、文化政策とか、コンテンツ産業とか、そういうものとは直接に関係ないのは言うまでもない。しかし、産業経営と文化、組織などの関わりについて、「文化の社会学」の専門家としても知られる二人が、このような論述をしたということは、こんなふうにやればみんなワクワクするような論述ができるんだよというような、ひとつの問題提起として、方向提示として、貴重なものであるように思った。まだ読んでないんだけど、表紙と目次を見た範囲での雑感を記した。ここに書くことはご迷惑かと思ったが、消すことはできるし、一応アップした次第である。