安田南3rd『Some Feeling』−−ノーツを読む

 夕方外出して、高円寺で友人とメシ。その後、円盤に行った。この前は昼間だったけれど、今日は日も暮れて、付近の飲み屋も始動していた。間口の狭い飲み屋が軒を連ねた、なんかゴールデン街ともションベン横町とも違うかんじ。外にテーブルを出してわいわいがやがややっている様子は、モロ日本的ではあるものの、なんかエスニックタウンの屋台のような風情でもある。その一角に円盤は、ちゃんと自分の場所をもって存在していた。昼間はややくたびれて見えた看板も、なんか精気を吹き返したカンジ。ライブやったりしつつ、飲み屋の部の営業は朝方までみたい。締め切ってあるし、ライブかなと思って扉を開けると、準備段階といった風情で、買い物をして、そそくさと引き上げてきた。買ったのは、もちろんこの前買い忘れた安田南である。
 『Some Feeling』というアルバムは、激動の70年代にあって確実な存在感をもった女性を紹介する「男たちよ」というシリーズのひとつみたい。松永良平氏(リズム&ペンシル/ハイファイレコードストア)のノーツから、以下あれやこれやを紹介する。安田南は、みなさんごぞんじ「ぷかぷか」のモデルとして紹介されているが、実はアテクシもわけわかめ。1971年にディランⅡが西岡恭蔵の書いた詩をとりあげた。「おれのあの娘はタバコが好きで・・・」と言われると、かすかに思い出した。「・・・タバコが好きで、いつもプカプカ」だったな。ヘビースモーカーな「あの娘」が安田南、でもって「俺=原田芳雄」って馬路かよ。ジャケツの二枚の写真は、やっぱりプカプカ。
 安田南は、1943年札幌生まれ、俳優座養成所中退。黒テント自由劇場と関わる。写真みてもわかるけど、怒迫力。フォークジャンボリーかなんかで、客が騒いで、ビンかなんかを投げつけられたときも、テメーらあまったれんじゃねえよみたいなタンカきったって書いてある。77年に『みなみの三十歳宣言』という本を出しているんだね。で、片岡義男とやっていたFMの番組は「気まぐれ飛行船」だった。75年開始。「独特の間と音楽に対する正直な感覚を持った二人の会話が醸し出す不思議な心地よさは、結構長いこと根強い人気を博した」と松永氏は言っている。そうか、あの不思議な魅力は、「間/魔」であったのかと、再認識した。アルバムの解説は、書き直しようがないようなものなので、まんまを引用しておく。

 まず一番の特色は、全曲を安田南のために書き下ろされた日本語詞のオリジナル曲が占めているということ。自由劇場と彼女の関わりからだろう、2曲を除き、林光が曲を提供し、斉藤憐、佐藤信、加藤直が詞を書いた。さらに「NOT SO BAD」「OH MY LYDIA」の2曲では、彼女自身の詞に、ゴダイゴに加入する直前のタケカワユキヒデが曲をつけている。
 そして、もうひとつ挙げれば、松岡直也ディレクションにより、旧知の山本剛に加え、大村憲司、秋山一将、高水健司小原礼村上秀一といった、当時の日本に根付き始めていたクロスオヴァーな新しい音楽シーンをトップレベルで支えるミュージシャンが揃ったことだ。
 アルバムのコンセプトには、ひょっとしたらマリーナ・ショウがブルー・ノートで成功させたような、クールでファンキーな女性ジャズ・ヴォーカルを日本に成立させようという目論見があったのかもしれない。
 しかし結論から言えば、安田南はそうはならなかった。彼女自身が本能的にそれを拒否していたのだと思う。売れようと思うのなら、笠井紀美子のように人気作家の力を借りるという手もあったろう。だが、それを「業」と呼ぶのか、「アク」と呼ぶのかわからないが、安田南はあまりに安田南でありすぎたのだ。
 残ったのは、とんでもなく洗練された演奏と、奇妙にゴツゴツとした日本語の感受性が醸し出すアンバランスなグルーブ感だった。
 『Some Feeling』は、ほとんど売れなかった。

 イヤこのノーツはすご杉ます。「ほとんど売れなかった」という文言がパカッとさしだす間/魔は、田村隆一の「母は美しく発狂した」に負けないンじゃないかとすら思う。馬路スゴイよな。売れなかったんだから。わはははは。恐ろしいまでに洗練された演奏と、それから安田南のヴォーカル。下手なの?う〜んにんともかんとも。「アンバランスなグルーブ感」という言葉が、能弁に何かを物語っているように思う。で、安田南はどうしたのか。「どこでどうしているのか、だれも知らないまま」なんですと。じゃあ、この印税どうなるのよ。売れないからいいのかな。w。生きていれば、60歳ちょいなんだね。そして、松永氏は美しく解説を結んでいる。

彼女は歌うことで自分を誰かに共有されることを欲していない。誰かの意識や、どこかの景色、流行のシーンに溶け込むことを許さず、歌として、歌い手としてその瞬間その場に鋭く立っていることしか望んでいなかった。それは自由劇場と、その設立の精神に彼女が触れたことの証でもあり、また同時に、誰かを演じるということでは決して救いを見いだせず、演劇と決別せざるを得なかった自身に打ち込んだ楔でもあった。
 学生運動やフォーク・ジャンボリーの狂騒は遠いこだまとなり、ニュー・ミュージックという名の、他人に寄りかかる音楽が幅を利かせる80年代の足音が近付きつつあった。自立した、はすっぱな女性という顔を見せながら、ほんとうはこのとき、もうすでに彼女は生きにくくなっていたのかもしれない。
 だが、だからこそ、このアルバムの放つ危うい魅力は成立しているのだ。
 『Some Feeling』ほど、スリリングなアルバムは、今の時代、もう現れることはないだろう。

 うーん、「危ういアンバランスの魅力」というのは、文化社会学の講義をしてゆく場合のひとつのモチーフになっていたものだし、そこはとても(・∀・)イイ!!と思った。他人によりかかる音楽・・・。昔、大学院の社会学ゼミでのみに行ったときに佐藤毅氏が、「最近の学生の自己紹介を聞いていて思うんだが、人からよく・・・ッテ言われますみたいに言う椰子がけっこういたことに気づいたんだ。自分がこうというより、人の評価が気になるみたい」と言っていたことを思い出した。ちょうど80年ころの話。しかし、またそれはそれだけ正直に生きるようになったということとも言える。そんなことはともかくとして、バリバリの演奏のなかで、よろけながら、テメーらと啖呵を切るようなドスを利かせた面構えの安田南がかなでるへなちょこなボーカルの味わいは、なかなかよいものであると思うのだ。そういう意味では、最後の「朝の遊園地」がいいと思う。わはははは。
 それからもうひとつオハラマヤ『オハラマヤ』鎌倉かなんかのライブハウスから出てきた人みたい。これも「荒削り」ということなわけだけど、「まだ降りつづくしたたかな雨」なんて詩句ひとつとってみてもわかるんじゃないか。ボーカルはダル〜っとしたけっこうおとなしめなものだと思う。個人的には、パティ・スミス@「Because the Night」みたいな方へ行ッテ欲しいけど、そうはならないんだろうなぁ。このブログもそうだけど、習作的な段階においては、よほど才気走っている場合を除けば、作品性がごちゃごちゃいろいろあってうるさいんだと思う。そこでこぢんまりまとまっちゃう奴はそれだけのもんなんだろうし、ゲートキーパー的な立場から言えば、やっぱ「荒削りなもの」に目がいくのだろうと思う。そういう意味では、なんか詞に目がいってしまった。ジャケツはけっこう(・∀・)イイ!!よ。