サンクチュアリとしてのスシ

 午前中は公務でてんてこ舞い、食事後読書と思ったら、昨日書いたブログに関連して、花野裕康さんが宮台真司氏の人称帰属行為論を批判的に検討したペーパーを「関連あるのでは」と電送して下さった。ある研究会で発表したものだという。これについて、考えているうちに、あっという間に夜になってしまった。余裕があれば後述したい。面白いものはとことんやるという主義なので、他の仕事なんか知ったことじゃない。だいたい締め切りなんかないんだし。
 授業でも、昔は言ったなぁ。一年間とにかく教室に足を運んでボーっと聞いていて、それで全部でましたなんて言うのはダメダメ君だよ。そんなくらいなら、啓発を受けた一回を大事にしろ。それをとことん図書館で調べぬけ。その相談にはいくらでものる。そしてそれをレポートに書けば優をつけるぞ、と。実際個別の自主ゼミみたいなのは、たまり場みたいな研究室や自宅で随時やっていたし、そこに毎日のように顔を出しながら、教室にはほとんど来ないのもいた。その中の一人が、久しぶりに出てきたときに、「二度と出たら落とすぞ」とすごんだら、教室が核爆だった。まあ、そんなことを言えたのは80年代くらいまでだろうなぁ。
 だいたい今は、ちょっと雑談でスシの話したらさ、二人もフリーアンサーに書くもんなぁ。「スシの話なんかすんな」。ギャグだろうと一蹴できないところが、近頃の学生の近頃の学生たるゆえんですな。この前詳しく言わなかったら、質問があったから言うけど、要するにスシは私の聖域、最初のボーナスをもらって食べたのもスシ、生涯最初のデートで食べたのもスシ、だから私は学生とかになにかをおごることがあっても、ぜったいスシはおごらない。そのくらいのサンクチュアリがスシ。スシをおごる=供儀、アホ学生には畏れ多く近寄りがたいスシ=禁忌。前者は積極的儀式、後者は消極的儀式。奥村隆さんの『社会学に何ができるか』と、デュルケムちゃんと読め。まあこんな説明である。ここで、小谷真理さんとも交流のある高橋準さんからのコメント@おとといの日記に気づく。一昨日の授業評価についてのコメント。

 わたしのメインの授業(ジェンダー論)だと「おもしろいけど理解はいま一つかも」というのが多いです。サブ(現代文化論)だと、評価まっぷたつ。「すごくおもしろくて印象に残った。」と「つまらない。意味不明。」極端です。印象に残っているのは、2年前の「特殊講義・フェミニズムの思想と運動」の自由記述、「ほかの2つの講義に比べて先生がすごく楽しそうだった。」という感想。フェミニズムの話するのってすごく緊張するんですけどね。自分が試されているようで。トカイの学生さんの感想はコワいですねえ。あ、でもあたしもふだんの感想で、「髪切れ」とか「半袖着てこい」とか書かれたこともあるな。なんなんだろうあれは。

 髪切れはわかるけど、半袖着てこい、うーん。それは、「(・∀・)イイ!!服着てるね、キミ」とか、教師が学生に言うのと一緒じゃないかと思うけどなぁ。ゼミコンで、「先生なにカップ」とブラのサイズを聞かれたのよりはマシかもしれないけど。両極端な場合は、ゴシゴシやって、やる気のある奴だけ残すと感想が平均化するらしいです。しかしそれにしても、スシや半袖はわけわかめですね。
 とことんやるという話をしながら、話題もザッピングしちゃってたりして、お恥ずかしい次第ですが、ついでにワールドダウンタウン。ナタリアがなに芸人といったかわからないので、ネットサーフしたけど、わからなかった。「ネットーゲーニン」とゆってたような気がする。これがつかみとどう関連するか、わたしにはわからない。それはともかく、面白いカキコがあった。ワールドダウンタウン打ち切りの実情。「ダウンタウンのギャラが値上がりしすぎて、香港のテレビ局が制作費を払えなくなった。秋からは、ダウンタウンのかわりにマンデラ兄弟が入ってはじまる。ただし日本ではやらない」。これは真実っぽいよな。ウソだったらすごすぎるつくり。これほどのつくりは、モー娘。。。板に、「保田圭、中居君と婚約」というデマスレくらいしか思い浮かばない。保田中居ネタを信じた奴はすごく多かったと思う。
 なんかやっぱマンデラじゃ盛り上がらないと思う。マーフィーは面白いけど。まだウィラポン連れてきた方がいいんじゃないかとすら思う。まあでも使い方しだいかな。日本では見られなくなるのだろう。あるブログで名言発見「そしてこの番組は伝説となる」。うーん、(・∀・)イイ!!。