「教養としての・・・」、あるいは毒電波好事絵巻

 起きてうだうだし、大学の学食に来るも、定食がないという。かなりむかついたが、しょうがないので、近くのそば屋へ。なじみは4軒あって、東京に帰った頃は、真っ黒な汁のあつもりのおそばがなつかしく、毎日のように食べていた。たしかに、うどんは関西風の出汁のほうが美味しいと思う。寮の朝飯が真っ黒の汁のうどんだけしかなく、泣く泣く食べていた関西出身者の言い分も今ではすごくわかるし、生協に大衆行動をしかけて、うどんの汁を関西風に変えさせた連中の執念もわからないではない。しかし、そばのあつもりはやはり黒々としていたほうが美味いと思う。なんてことを考えつつ、大学へ。大学院入試に関わる公務を行い、しばし研究を行いブログという次第。
 このブログって、教養部の講義を懐かしんでやってませんかということばを、旧知のかたからいただいた。それはすごくうれしいご指摘であった。これと同じような放談ばかり毎回やっていたということはないけれどね。
 教養部に就職するということになったとき、私はかなりうれしく、それなりに興奮を覚えた。というのは、まず第一に、教養部=旧制高校という短絡をしたということがある。愛読書のひとつに北杜夫の『どくとるマンボウ青春記』というのがあって、それが自分の寮生活などとも重なり、どんな生活が待っているだろうとワクワクしていた。そして教養部は期待通りの場所だった。今考えると信じられないけど、最初の何年かは、研究室だけではなく自宅もカギが開けっ放しで、そこに誰かしらたむろしていた。教員同士の交流も盛んで、教師と学生が議論したり、遊んだり、創造的な場がそこにはあったと思う。
 そういう一種馴れ合いなあこがれとは別に、学問的な理由もあった。森毅氏、作田啓一氏、井上俊氏、大村英昭氏、見田宗介氏、西部邁氏、村上泰亮氏、村上陽一郎氏といった愛読書の著者がそろって教養教師だった。このことも、教養部というものへのあこがれに拍車をかけたのである。こうした学問的なこだわりの背後には、社会科学概論一科目を必修とするいささか専門性が希薄な学部を出たということへの言い訳も含まれていたとは思う。私の社会学修士号は、英語で書くとMaster of Social Sciences と複数形の学位で、さらに言えば、私が入学した頃は Social Studies だったはずだ。なんともインチキクサイ。今でも外国向けの推薦状などを書くときは躊躇するよなぁ。これを書くの。w 創設者の上原専ろくや、それが立脚するランブレヒトの学問に学んだりしたけどわけわかめ。研究の蛸壺化は、日常的に問題になっていた。それでも10年もいると存在証明がしたくなる。その間に自然と熱心に読んだのが上記の著者たちであった。*1
 前置きが長いというか、話が前立腺肥大というか、トホホだけど、本題はこれから。つまりは教養ってことなんだけど、最近話題なのは、教養的な知の終焉を議論した竹内洋氏と、教養としての経済学を展開した稲葉振一郎氏と、それからちょっと前になるけど教養としての大学受験国語を議論した教養としての大学受験国語を議論した石原千秋氏であろう。それぞれに面白いが、私としては一番面白かったのは、石原千秋氏の本である。息子の中学受験につきあって、いろいろ中学の入試問題を読みあさった一線級の日本文学者が、その体験記を発表し、さらになんと中学入試問題の論評までしているという。すぐに私はその本を買った。『秘伝中学入試国語読解法 』(新潮選書)。確信犯とも言える徹底した「親ばかぶり」は、徹底していて、その率直な物言いに、正直胸があつくなるものがある。さらに息子の成長とともに、大学受験ちうことでかいたのが、『教養としての大学受験国語』(ちくま新書)である。これは評論だけだが、あまりの評判の良さに小説編まででている。単なる受験技術論ではなく、一流の専門家として、専門と高校教育の狭間でモノを考えているところがある。これに限らず「中等教育」と「高等教育」の対話は大事だと思う。そういうと話としてはいかにもつまらなそうなのだが、「親ばか」というモチーフを加えることで、読みやすい本に仕上がっている。
 ネタ本として、公言されているのが、受験参考書の名著『新釈現代文』。Z会推薦。長い目で見るとこれを使うといいなどと推薦されていたのを思い出す。私は、駿台予備校の模試で英語だけではなく、国語も10点いかなかった(=一桁の点数だった)ことがあるので、それ以上の記憶はないのだが、石原氏は、読解の骨法を二分法に求めている。なにかを論じるのに、未来から批判するか、過去から批判するかのどっちかしかない。そう鮮やかに断言。そして、読解の対象がなにを言っているかは、このどちらかを見分ければいい。進歩か保守か。同様に、いろんな議論の方向性を見分けるためのインデックスをつくってゆけばいい。それには主観ー客観、中心ー周縁・・・などの二分法に精通することだ。この基礎体力となる語彙を身につけさせる学科が中等教育の現代国語であり、それを身につけているのが大学入学者の教養というモノである。それをさらにかため、専門教育に備えるのが、教養課程だ。そんな論旨だろう。最初読んだとき、鮮やかな論旨にひょえ〜〜っとぶっ飛んだ。でもって、実家に帰ったときに『新釈現代文』引っ張り出してみたけど、やはりわけわかめだった。やっぱ石原恐るべしだ。逆に言えば、それだけ当時の受験参考書や、教養課程の教材や、さらには専門の教材は、不親切だったということだろうし、書き換えがなされなければならないと言うことだろう。そう言えば、浅田彰の『構造と力』もチャート式だった。それに続き、平山朝治氏が若くして本を出されたときに、稲葉振一郎氏が内容の充実を認めつつも、これはチャート式じゃないねとかゆっていたのを思い出す。石原千秋氏と同様の試みは、社会学書でもいろいろみられるのだが、なかなかに教育はむずかしい。
 ちょっと興味を持って、アマゾンで「教養としての・・・」で検索したら、58件ヒットした。一番古いのは、60年代であり、あとはそこそこ各分野で出版されている。OPのモノを入れるともっとあるだろう。60年代のものは、西村 貞二『教養としての世界史』1966、植村清二『教養としての中国史 』1965、猪木正文『宇宙時代の常識―教養としての相対性理論』1965とすべて講談社現代新書のものだ。*260年代あたりの教養事情として、私が面白いと思うのは、森毅『ボクの京大物語』(福武文庫)である。これは教養云々超えて面白い。京大闘争をこれだけポップに書いて、かつコラとかとりあえず言われない人って、珍しいと思う。つるし上げの時の大芝居とか、シビアな時代ののらりくらりが書いてあってぶっ飛ぶ。作田啓一先生の意外な側面もわかるし。この本を読んだ、当時の闘士が一応怒ってたよ。「俺たちけっこうまじめにやっていたのに、しょうがねぇなぁ」ってかんじ。
 ことあるごとに教養とはなんなのだろうと思う。専門ばかりもつようになり、なおさらそういうことを考えるようになった。私が教養部で学んだのは、前にもブログで書いた、亀井孝、梅谷文夫といった先生たちだった。それはまたチャート式ともちがう知である。なんつーか、そう、毒電波好事絵巻だな。呉智英小谷野敦浅羽道明田中克彦・・・立場も芸風も違うけど、いくらでもいるかなぁ。それらを全部まとめても、上原専ろく著作集には馬路負けると思うけど。

*1:学際をうたいつつ、学会や社会への発信は、学問分野ごとであったし、授業の数もモノ足りず、愚痴ばかり言っていた。藤村正之氏などは、だいぶ大人で、どこにいても最高のパフォーマンスをあげることが重要じゃないかというようなことを言っていた。ところが彼は大学院入学後一年で退学し、社会学が専門的に研究できる他大の大学院に移っていった。当時は社会学会を中心に活動している先生が一人もいなかったこともある。佐藤毅氏も、社会心理学の先生だったし。

*2:ちなみに1990年に、『新版 教養としての経済学』という本が日本評論社から出ている。著者は、斎藤謹造。