早熟と円熟

 昨日から実家なのだが、閉会式などまでみてしまい、あいかわらずの生活リズム。昼食後、散策に出る。途中で、元町のプールでひと泳ぎし、仕事の構想を練りに伊勢佐木町へ、有隣堂で立ち読みをしておりましたら、森富子『森敦との対話』(集英社)が出ていたので購入した。森敦夫妻の養女、小説の弟子である著者が、芥川賞をとる前の森敦について、没後15年を経て明かされるちうふれこみで、この人がケツたたいて、分断デビュー後40年ものあいだ何も書かなかった森敦は『月山』を書いたという。放浪の人生を送ったが、森敦は早熟にすぎる作家だったと思うし、60歳過ぎて芥川賞をとったという森敦の価値は、放浪や経歴に解消できるようなものではもちろんない。けれども、今まで書かれたことのないあれやこれやが、この人以外ににないという人により書かれている。小説の製作現場を描き、一つ一つのやり取りが、小説教室のようになっている。一種編集者的なスタンスが清冽である。
 帰って文庫本を整理していたら、吉田秀和の『主題と変奏』を発見した。日本において音楽批評を確立したということで、記念碑的な作品ということになっている。著者自身認めるように、小林秀雄モーツァルト』の影響を少なからず受けてはいる。ゆきづまって悩み、神経症に苦しんでいた時代に、二つの著作を比較しながら読んだことを思い出す。そのとき再三読んだのが、この本におさめられている「セザール・フランクの勝利」である。
 この作品には、フランクの外見的には愚直な生き方が、才気煥発で音楽を創るのに自在域に達していたかのようなサンサーンスと対比的に描かれている。フランクは、朴訥で実直な人柄のため慕う人も多く、多くの弟子に恵まれた人だった。しかし、<古典>を貴重にした作風は、なかなか結実しなかった。教会のための音楽をつくり、暮らしていたフランクは、ようやく老境に達し、自在域に至る。そして、ジャンル別に珠玉の作品を狙い済ましたように一曲ずつつくって、人生を全うしたという、「勝利」を描いたものである。
 フランクで思い出すのは、古賀英三郎氏のことである。<古典>にこだわり、才気と情熱を横溢させていた古賀氏は、本は一生に一冊書けばよいと言うのが口癖の人で、講義では自説を熱く語りつつも、それを本にすることはなかった。論文として、豊富な一次資料を使ったモンテスキュー研究を始め、重厚な作品を数多く発表されているが、講義でわれわれに語った体系構想については、遺稿集のなかの小品として公にされている以外に知る由もない。古賀氏の体系構想は、総合的社会科学のそれであり、階級論、分業論に状況連関論というデュルケーム派のシミアンの学説を加味し、社会構造のダイナミックスを理論化しようとするものだった。マルクスウェーバー、デュルケム、モンテスキューから、宇野理論なども視野に入れながら、体系を構想されていたように思われる。理論と体系は、70年代にほぼ完成していたと私は思う。厳しい学問を学生にも要求したが、自分にも厳しい人だったと思う。マルクスエンゲルスについての80枚ほどの原稿を書くのに、「全集を全部読み直した」と講義でおっしゃっていた。それをうそやはったりと思う者が一人もいないというようなタイプの人だった。この厳格さにより、体系が発表されなかったことは、ほんとうに惜しいと思う。古賀氏については、早熟で才気煥発の勝利者としてみることももちろんできると思うが。
 フランクと古賀氏はもちろん時代もなにもかも違うが、そういう円熟もありうるということを示してくれているようで、焦燥はずいぶん鎮められたように思う。本が早く読めない。いろんな本を読んで体系化するなんてことは自分にはできない。いろんな言葉なんかできない。そんな愚痴を言ったとき、「深く読めばいいじゃないか」と言ってもらっているような気がした。多作じゃなくても、そして大作がかけなくても、丁寧に言いたいことが言えればイイじゃないかとも思った。それは一時的な気休めにすぎず、いまだに埒はあかないけれども、そう思うことで多少は楽しく生きてこられたように思う。