ビニ本−−内部観測論の新著によせて

 「ビニ本」。なつかしい響きである。時は80年代前半、エロ本業界が一変した。猥雑アングラでモデルも写真技術もなんじゃこりゃっていったようなエロ本しかなかった70年代には、私の住んでいた町内のおっかさんたちは亭主が隠し持つエロ本をみつけ、こんなもんならあたしらの方がずっとマシじゃんみたいに井戸端会議していたのを思い出す。てめえらカメラの前で脱げるかと言ってぶっぱたかれていたとっつぁんはいたが、てめえらじゃ使ってもらえねぇというとっつぁんはいなかった。しかし、広岡敬一氏の著書などを見ると、これはたぶんに偏見をふくんだやりとりであり、家父長制的幸福の自己確認にすぎなかったことがわかる。普通のOL、学生、それも世間的な基準で言うとかなり「じょうもんさん」がエロ本に登場したのが、80年代前半だったと思う。*1有名大学の身分証明書を添えるなど、あの手この手で劣情を刺激する商品が開発された。*2このエロ本がビニールの袋に入っていることから、「ビニ本」と言われた。ラディカルな本や、マニアックな本を出していた芳賀書店がその代名詞ともなり、爆発的な売り上げから、ビルまで建ててしまったくらいである。一つの画期であったと言えよう。
 「ビニ本」が売れたのはそれだけではない。写真は無修正で、マジックが塗ってあるという噂が流布したわけだ。出物をめぐって、いろいろなところに行列ができた。でもって、マジックの消し方なんていうのも大流行で、噂が噂を呼んだ。私は近所のやんちゃなあんちゃんから、キンチョール一拭きで消えるという知識をえ、友人筋に流して感謝されたっけなぁ。もっとも、ほとんどがインチキのバッタモンだったようだ。当時、バッタモンは常識だったとも言える。脱ぎたて下着ありますなんていう広告が三流週刊誌に出ていたけれども、やくざの若い衆が二〜三日履いて大量生産し、シノギにしていたという話がある。これにはまったのが作家の遠藤周作氏で、通販でいろいろ買ったとエッセイに書いてある。だまされるのを楽しんでいたようなのだ。ニオイ付き=安物の香水のニオイ、シミ付き=醤油のシミ、完全無修正=着衣の写真など、次はどの手でくるかワクワクしたなどと書いてあって、さすが作家はやることがちがうなぁ、スゲェなぁと思ったものである。*3
 でもって、なんで「ビニ本」の話などをしたのかと言うと、今日tyadon さんのお薦めで、郡司ペギオー幸夫著『原生計算と存在論的観測―生命と時間、そして原生』を買ったっつーこってす。灯台もと暗しで、吉祥寺のパルコにあった。パルコブックセンターはりぶろになってたけど、ともかく平積みになっていた。フジテレビの『お厚いのがお好き』やジジェクの『イラク・・・』とならんであった。で、速攻購入。ごるぁああ、関係ねぇだろと怒るなかれ。これが「ビニ本」だったのよ。立ち読みできないようになっていた。この本屋は他の本はそうなってなかったから、UPの策動かしら。わけわかめ。高いと言うけど、UPの価格設定だと、この厚さでこの値段はリーズナブルじゃないでしょうか。まあ、奥井さんの『社会学』は、あの厚さと充実で、二千円を切るのだから、さらに良心的だし、新書感覚でもっと気軽にみんな買えばいいと思うけどね。
 私がこの本を買ったのは、tyadonさんのお奨めというよりも、自分の関心です。「原生計算」という文言を除けば、この本の主題、副題はそのままミードの論文に使えそうなものばかりだからです。リアリズムの「否定」の上に立つオントロギーの主張が、ヒリヒリと刺激的だったからです。存在論に向かうことは具体性、トタリテートを志向することであり、神の領域に踏み込むことのように思われた。ルカーチ、広松、あとものすごいことを言うようですが、パーソンズも。だけど、私は、マートンやカントの分相応に萌える部分もある。しかし、さかしらな<傍観>はずるい気もする。となると・・・というのが、郡司氏やtyadon氏への期待です。たぶん何度読んでも、自分には理解しきれないと思います。ただ、『構造と力』、『行為の代数学』などを買ったのと同じような気持ちで買いました。まあ、昔グリーングラスとか、エリモジョージとか、トウフクセダンとか、これはと思った馬の馬券を一枚だけ買ったようなものかもしれません。

*1:日活ロマンポルノには、一流の女優が出ていたわけだけど、OPチェーンのピンク映画も、エロ本と似たようなものだったと思う。

*2:ユーモアとエレジーの混交は、たちまちたけちゃんのギャグのネタとなった。当時人気だったオールナイトニッポンでは、「ビニ本」を朗読、写真を説明し、 (;´Д`)ハァハァするというよりは、しょーがねぇなーこんなの買う椰子は、みたいなノリで大騒ぎだった。

*3:そーいや、ぼったくりにあったやしきたかじんが、いわれた金額に激怒し、ハンバな金額要求するなと怒鳴りつけ、50万円叩きつけて帰り、やくざびびらしたという話もありましたなぁ。