東大駒場ニセ学生の記−−奥井智之『社会学』によせて

 このブログは、受講生だとか、一部お知り合いのかた、それとキーワードで間違って来られた方くらいしか見ていないと思っていたのですが、いろいろな人から、メールなどをいただいてビックリしています。今朝も、奥井智之氏からメールが来ていて、ぶっ飛びました。私なりに翻案要約しますと、「拙著をお立ち読みくださりサンクス。で、本送りますた・・・」という文面です。「お立ち読みくださり」は「まんま」です。穴があったら入りたいとはこのこと。あーは書きましたが、私は社会学概論・原論の講義を本務校他複数の大学でやってますし、どんなテキストも必ず手に取ってみますし、自分で買うなり、図書館に買ってもらうなりして、手に入れています。『社会学』(東京大学出版会)を買わないわけがありません。申し訳ないかぎりで、これからは注意しようと思います。釈明のつもりで、以下日記として記します。
 『フォーラム現代社会学』の社会学テキスト特集で、高橋三郎氏もおっしゃっていますが、一人で書き下ろしたテキストによいものが多い*1と私も思いますし、同様の理論的なこだわりをもって奥井氏が書き下ろしたこの著作は、テキストとしても非常に興味深いものであります。と同時に、私はこの書物に「社会学の理論的体系性」へのこだわりを感じます。体系書として読むことを読者に求め、かつそれを行うのが社会学の研究であるというメッセージが伝わってくるような気がします。非常にオーソドックスなこだわりであり、それを執筆者としても、教育者としても貫かれていることには、表敬したいです。マンガを導入するなど、応分な工夫は行う。ただし妥協はしない。「反社会学講座的なもの」とも一線を画す意志も確認できます。「あえて踏みとどまる」という姿勢に学びたいと思います。すべてに迎合的になり、作品性が融解して収拾がつかなくなっている私としては、特にそうでしょう。*2
 思い出すのは、1983年の東大駒場の演習室です。私はニセ学生としてそこにいました。当時法政大学にいた矢澤修次郎氏のゼミに出たいと、二年近く迷ったあげくにお願いしたら、時遅し、ボストンに在外研究で行くのでダメだということで、紹介されたのが駒場馬場修一氏の演習でした。その第一回目に、最初の著作を出したばかりの桜井哲夫氏が来られていて、その著書について議論がはじまり、まもなく激しく論争をはじめられたのが奥井氏でした。それも、一発パンチを入れて終わりというのではなく、ポイントをつくるとそこで応分の論理をくみ上げて、たたみかける。それに同じように反論する。そういった、システマティックな連打の応酬みたいな激しい議論が、際限なく続き、しかもそこで今までに見たこともないような分厚い勉強量の知識が動員されていました。さらに驚いたのは、馬場修一氏が、その議論をさらりと整理してしまったことです。それまでに、二項対立図式、連番箇条書き列挙(一つ、二つ・・・桃太郎侍仕様)など、外部から図式を強引にあてはめて整理するのにはいくらでも出会ってきたのですが、激しい議論の、容易に解きがたい絡み合いの本質をさりげなく見抜き、本質的な整理をスッと穏やかに出してみせた。とんでもないところに来ちゃったなぁと思うと同時に、知的な官能のようなものを感じて、禿げしく興奮した覚えもあります。*3
 馬場氏の力量と人柄に惹かれてか、いろいろな人が馬場ゼミには集まっていました。私が出席したのは二年間だけですが、社会学系で思い出すだけでも、奥井氏の他にも、船橋恵子、古谷公彦、吉見俊哉坂本佳鶴恵、成家克徳、奥村隆、田崎英明などなどの方々が出席されてました。その前後の時期には、『知とモダニティの社会学』(東京大学出版会)に寄稿されている人々が参加していたようです。また、社会学以外でもいろいろな人がいたんだと思います。私は当時神経症がひどかったこともありますが、やはり議論と報告に圧倒され、ほとんど発言できませんでした。
 当時、駒場の社会科学にはすごいメンツがスタッフとして揃っていたこともあるのだと思いますが、「相関社会科学」の創造という意欲がみなぎっているのを肌で感じました。奥井智之氏は、大学院生のなかではその中心人物であるように見えました。奥井氏の著作は、中央公論新書、弘文堂などから多数出ていますが、いずれも「相関社会科学」へのこだわりが打ち出されたものになっているように見えます。私が特に影響を受けたのは、『アジールとしての東京』(弘文堂)という本です。*4私は、この本を読んで「アジールとしての地方都市」というモチーフを得ました。
 奥井氏はいずれ、シュンペーターの体系と歴史の二冊みたいな大著を重厚にまとめあげられるのであろうとずっと思ってきました。今回の『社会学』という著作は、そうした観点から、つまりは一つの体系提示として、味読したいと思っています。

*1:三溝信氏の二冊、姫岡勤氏の『社会学』、ギデンズの『社会学』、コリンズやニスベットやマーチンデールの社会学史など。

*2:反社会学講座』にたまならなく惹かれるという人と、すくなくとも一線は引きたいという人がいると思います。ネット系の人は前者が多いと思います。しかし、アカデミズム本流はそうではないと思います。奥井氏は、おそらくは、面白みを認めつつも、理解者面はしないというか、そういうカンジだと思います。まあ、妙に若ぶる老人のようなマネは絶対にしないというようなダンディズムだけではないと思いますが。

*3:よいゼミや研究会とはそんなものなのだと思います。後に、阪大の外国文献研究会、東京でやっている生活史研究会などでも同様の議論に出会うことになります。

*4:これは今年の三年ゼミテキストにもなっています。内田隆三氏の家郷論などと読み比べてみたいと思って教材とした次第。