「もてない男」の新作を読む

 ブログを書いたあと、夕方まで仕事をしっぱなしで、結局昼飯くえずにハラヘリホロで、今日は早く終わって飯を喰いに行くことに。まだ、八時前だし、一つはじこうかなぁと思って、パチンコに行ったのが大失敗で、またすっちゃった。でもっていつもの回転寿司に行ったあと、ロンロンの本屋さんへ。ようやく時間もでき、読みたいものを読めるようになったので、熊野純彦『戦後思想の一断面』を買う。広松渉の評伝みたいな解説書。前から読もうと思ってたもの。買ったら、他はそっちのけで読み通すから、買わないでとっておいた。まだめくりだしただけだけど、期待通りの面白さ。エピソード満載です。*1
 私は、伝記や、評伝がものすごく好きなんだよね。大学院生時代は、ミルズでも、リンドでも、ヴェブレンでも、ウェッブでも、なんでもかんでも伝記的に報告するので、デンキストなどとなんともべたなイスト呼ばわりされていたくらいです。もちろん修士論文は、ミルズの伝記だった。学説もへったくれもないってこともないけど、トリビアな伝記的な事実ばっか調べていた。*2社会学の話をしていても、どーでもいいうわさ話みたいなのばかり面白く思え、良識ある学究肌の人たちのひんしゅくを買うことも多い。
 もう一冊、小谷野敦『俺も女を泣かせてみたい』も購入。私は、増田聡氏に「もてない男文化研究バージョン」というなかなか面白い呼称を与えていただいた経緯もあり、小谷野氏の本はどうしても意識してしまう。*3小谷野の本は、がっつり野太い作品性が打ち出されている。表題だけ見ても、内容が期待され、しかもワンパターンではなく、論述は新鮮だ。「冷たい男」と呼ばれたい。うーん、ガツンと胃袋におさまる。「いい人ね。でもね・・・」なんて、屈辱、汚辱にまみれた人生にとって、なんてさわやかな告白だろう。「俺もけっこうワルでさ」とか、一度くらいゆってみたいよなぁ。本をくれる先生から、桑田佳祐、さらには三国志までもとりあげて、あたりちらしている。実に(・∀・)イイ!!。
 ちょっと面白いと思ったのは、「○○大学教員」と肩書きに書く手合いを、偽善だと一刀両断にするくだり。教授だ助教授だと言わないのが民主的だとでも言うのか。教員と言えば、特権階級だというのが免罪されると思ってるのか?非常勤講師の立場から言えば、肩書きに「教員」とは書けないんだ。だって、それは特権階級としての専任の人たちのみが使える呼称だからだ。そういう小谷の視線は、『もてない男』以来一貫している。(・∀・)イイ!!私は、教員の肩書きを使うことがある。名刺にも職名は書いていない。そして思った。仮に、非常勤の人が、教員の肩書きを本や学会報告で使ったら、問題になるだろう。名刺もしかり。学会に非常勤教員でありながら所属変更の届けを出したらどうなるんだろう。私はそうした人を知っている。そして、複数の人から悪口をきいった。小谷の論は、読む者の盲点をこのようなやりかたで突き、反省を迫ることで一貫している。それが彼の作品性だろう。レポート、卒論から、論文、著作まで、作品性があることが一番重要だということを、あらためて痛感した。さて、熊野を読もう!

*1:もちろん、理論も興味がある。相対性理論は、ミード理解の鍵だとずっと思っている。これは、学会でも報告した。言うまでもなく、広松は「相対性理論の哲学」を展開した人。フッサールヤマッハの影響を云々されることも多い。鶴見俊輔アメリカ哲学』は、ミードはプラグマティストでは例外的にマッハ主義ではないという。私の学部時代の恩師岩崎胤允氏は、社会科学のみならず、自然科学のマッハ主義や確率論パラダイムマルクス主義の立場から批判した人だけど、相対性理論の解釈では広松と真っ向から対立していた。そういう議論を懐かしみながら、理論的にもえるものがあればなぁと思っている。なんと、熊野は役割論に一章を割いている。読み切るのが楽しみである。

*2:たとえばこんな具合。ミルズは最初の妻と、二度目の離婚をしたあと、調査研究のルース・ハーパーと再婚する。そのころミルズはバルザックにはまっていて、『ホワイトカラー』を『人間喜劇』みたいな本にしたかったらしい。ルースをくどく恋文にミルズは、オレはアメリカのバルザックだぜ!みたいに言っている。とまあ、こんなどーでもいいことを調べて、そこからミルズを論じた。なんか知らないけど、そういうディディールのほうにばっか萌える。

*3:文化社会学掲示板より以下引用。ーー『バカのための読書術』を一気に読みました。読みやすい。わかりやすい。この人も呉智英を熟読した人なんだね。でもって、『バカにつける薬』で、渡辺昇一の「ちほ〜(知的生活の方法)」などの批判も見て、痛快さに感心するとともに、若干疑問に思うこともあったみたいで、そんなこんなをモチーフにして、読書論としてまとめたのがこの本です。井上章一の一次資料志向と露悪趣味、そして浅田彰への世代的コンプレックスなどをずるずるとひきずった「弱い者」「もてない者」の見地から、バカにもわかるように、本邦初「読んではいけない本」のリストと「読んだほうがいい本」のリスト(挑発的に性別年代別)をあげ、堅実な努力の仕方を説いた本ですな。難しい哲学書なんか読まなくていいやい!!と、もっともらしい論壇への当てこすりを込めて説いたかと思うと、「オレはバカやガキは甘やかさない」と強がってみせる。「あとがき」のさいごには、「電車のなかで携帯電話でしゃべくている女学生を怒鳴りつけた日に」などと付記してある。裏表紙の写真も、非常にそういう意味でスタイリッシュ。