前期末試験

 大学のHUBが暑さでまいっちゃって、おかしいことになっている。うぷできてないと思っていた↑の文章が未完成のままウプされていた。水泳から帰ってそれに気づき、なおした。テレビをつけたら、スポルトでバレー特集をしていて、広瀬美代子が出ている。X脚の童顔と、鉄壁のレシーブとサーブで大人気だったユニチカの選手だった人。20年たって、面影は残っているけど、大阪のおばちゃんになっちゃっていてビックリした。
 今日から試験だ。女子大の場合、試験対策委員会などというものはない。一人でコツコツやる人が多い。あまり無茶なお願いに来る人もいない。馬鹿を競い合っていた感のある寮生だった私としては、若干つまらない。随分アホなことをやった。四人ならんで同じ答案を書いた経済学部の某科目テスト。ブレーンが一人とアホ三匹。アホのうち一人は、ブレーンへの謝辞を書いた。「この答案を作成するにあたり経済学部○氏のご協力をたまわった」。書かなかった私は「良」、あとの三人は「優」。社会学部の某科目試験をこの四人が受験。先生が「答案の程度を自己採点しろ」というので、私は謙虚に「良」、あとの三人は「優」と書いた。結果もいっしょ。経済学部の原論系のテストでは、事典を丸写しに。そしたら、その項目を書いたのがその先生。開き直って「この問題では、これ以外の模範解答がありうるだろうか」と書き添えたら、「優」をもらった。そんな時代だったんだろう。なにせ授業料は月3000円だったし。先生の方も、一部の人を除き、それでよいと思っていたふしがある。某科目は、○○部ですと書くと優といううわさがあったらしい。二つ上くらいの先輩のとき、白紙に「○○部です」という答案が何百も出てばれたらしい。法学部の某講義では、年度当初先生が「昨年は優秀な人が多いのか、レポートが三種類ありました」とイチビリかましてますた。
 ある機会に地球市民論SK先生とご一緒したとき、「ボクは君の出た大学の学生が嫌いでねぇ。ぜんぜん勉強しないからね。ひどいもんだよなぁ。頭きたので、ボクしか使わない用語をテストにだしたんだよ。みんな困っただろうね」。私が、「いやあ、そんなこともありましたね」と答える。SK先生「君もとっていたの?成績はどうだったの?」。私「良をいただきました」。SK先生「なに!研究者になったのに優じゃないの?」。もう一人の大先生「もう勘弁してやれよ。冷や汗をかいているじゃないか」。私「河村望先生の社会学史はオトしましたけど」。SK先生&大先生「絶句」。
 まあそんな具合で、岡山大学時代は、学生気分が抜けなかったこともあるけど、学生と一緒になって試験を遊んでいた。いくつかのエピソードは『若者文化のフィールドワーク』という本−−これは若者論の本と言うよりはギャグのネタ帳だと岡大では言われたんだけど−−に書いた。そこに書けなかった話もある。たとえば、一クラス400人もの出席を読み上げるので有名だった某講義。三十分くらいかかる。二回とるときもあるとか、三回のこともあったとかいう伝説もある。同じ声で出席をとってもいいという話があり、やるというので見に行った。「はい、はい、はい、はい・・・」と名前を呼ぶたびに返事をしてゆく。先生が「ん!?」と顔をあげると、そこでバトンタ〜ッチ。でもってまた「はい、はい、はい、はい・・・」。真面目に出ている連中も笑ってみていた。
 今では、うちの大学に限らず、この出席はまずいだろう。授業評価というものもあるし。しかし、ロバートくだらねぇ〜。笑って書けね〜。