前期試験によせて−−「さみしい」若者

 第五一回関東社会学会大会(二〇〇三年)における文化社会学のテーマ部会において、報告者の一人であった長谷正人氏は、現代の若者を「さみしい」ということばで表現した。「さみしい」若者とは、一方で、講義で出席をとれと教師に迫ったり、この講義は「役に立たないよ」などというとたちまち時間後やってきて猛烈に抗議したり、講義で教師がとっておきの雑談をするとすぐに無駄話だと大学当局に報告したりするどうにも世知辛い若者のことである。長谷氏らしい、イメージのくっきりした表現と感心、得心した。
 同様の体験は、最近特に多くなっている。たとえば、社会学史の講義で先週出席をとった。本務校でないので、当然のことながら学生の顔などわからない。受講態度なども、採点の対象にするかなぁ。そんな軽い気持ちである。もとい出てないからといってフェータルに減点するつもりはなかった。だって毎回記名で講義への感想や批判を書かせているんだから。そしたらさ、「○○番の▲▲さんは、毎回出ていました。私は何回か休んだりしましたが、▲▲さんは毎回前のほうでちゃんと聞いていました。出席をとってもらえないのはおかしいと思う。▲▲さんがそういう人であることを銘記してください」というのです。今どきいい人もいるんだなぁと正直感心しました。だけどなんとなく「さみしい」気がしました。この学生たちは、一度出席をとりそこで出ているか出ていないかというトリビアなことで、選別されてきたんだろうか。教師というのはみんなそういうことをやるやつだと思っているんだろうか・・・。
 小平の寮で同室だった友人は、就職面接の時、「最後に一言言うことはないか」と言われ、「一緒に入社試験を受けている○○君は、他はダメでここしか残っていません。同じゼミでとてもイイ奴です。彼と一緒にぜひ働きたい」みたいなことを言って、○○君と一緒に入社しました。第一志望の最終面接でよくも言ったりと感心した。この言いようには、場合によっては差し違えるぞというような稟とした決意があり、それだけに志望会社に対する信頼のようなモノが表明されているように思う。会社もその信頼に応え二人を採用した。証拠に、この友人の結婚式の時に、このエピソードは会社の重役の方だったか、主賓クラスの人から紹介された。そのあと、○○君が登場し、「彼のおかげで入社できた○○です」と挨拶を始め、爆笑となった。友人の結婚相手は入社直後配属の人事部の同僚だった。私が挨拶にたち、実は会社まわりの時から、結婚相手にぞっこんだったというエピソードを紹介し、会社の人たちは知らなかったようでやんややんやの喝采であった。
 話を戻す。社会学史での出席。出席で名前を呼ぶと字の読めない人もいる。「なんて読むの?まあ、二度と呼ぶことはないわけだから、どーでもいいちゃどーでもいいけどね」と言いますと、まあ普通なら照れくさそうに「○○です」などというのが、日本人ちゅーもんだと思うンすよ。だけど、その人教えてくれなかった。それはまだイイほうかなって気はする。読める必要もないからね。出席にまつわる逸話はたくさんある。そーいや、前に名前を呼んで出席をとっているとき、何回めかの感想文に「いつも呼び間違っているけど、私の名前は○○」だとか、いかに傷ついたか書いてあった。なんとも切実さが、ズレている。もしかすると、私が成熟した市民でないことが原因で、裁判沙汰な物腰みたいなもんが、好きでないだけかもしれないけど。
 私が教師になった頃は、「大学正常化」10年あまりで、赴任した岡山大学は二度紛争を経験、全共闘的なモノだとか、セクト的なモノがまだ残っていて、非常にファジーな雰囲気だった。今考えると信じられないようなアホなことがたくさんあった。私は、アホ教師まかり通るの一翼を担っていたんだろうと思う。ご迷惑をおかけした方々に、深くお詫びしたい気持ちです。私は教養教師は芸人であるという、森毅氏の教えを、盲信していたようなところがある。人生最初の講義で、「これを聴いても役に立たないよ」などとうそぶいた。反応はなく、足が緊張でガクガク震えた。頭が真っ白になり、やけくそで私は、「君たち、キャラメルの紙一枚でウンコする方法をしっとるか?」と始めちゃった。で「キャラメルの紙をね、4つに折るだろ。でもって、重なったところを切るの。切った奴はとっておくのよ。そうしたら穴が空くよな。そこに指を通して、とりあえず掻き取るわけ。でもって紙でぬぐいながら、指をぬく。そして切ったやつで、ツメに入ったのをとるわけ」と説明したら、やっと笑ってくれて、調子が出た。
 もちろん、今は、そんなネタは絶対にできない。当時だってまずかった。私もちとまずいかなと思ったので、「こういう人格がイヤな人は登録辞めてください」などと間抜けなフォローをした。もちろんそんな話ばかりをしていたわけではない。ニスベットのテキストで、かなりじっくりと社会学史を教えた。大学一〜二年の講義としてはむずかしすぎたし、評判も悪かったが、高水準のレポートがたくさん提出されてびっくりした。私は希望の如何を問わず、全員にコメントをつけて返した。このコメントは女子大に勤めて二年目まで続けたがやめた。やる意味がなくなったと思ったからである。言うまでもなく、キャラメルネタの類はすべて封印。そりゃそうだよ。今だったら、一発レッドカードに近いかもだよ。
 試験の時に、「さみしい」質問がたくさん出るようになった。森毅の時代は終わりつつある。「参考文献は板書するだけではなくリストをつくってほしい」。「値段がわからないと買う判断に困る。参考文献には値段と出版社を添えて欲しい」。「社会学事典を調べろとおっしゃったが、そのくらいは調べてプリントに掲載して欲しい」。「レジュメには要点だけではなく、説明の分も入れて欲しい」。社会学史の講義に昨年寄せられた感想である。不思議に今年はこういう類のモノはない。
 学生に逆ギレ?する教師もいる。以下、旧文化掲示板よりの引用。ウツノミヤ大学−−立命にならっていえばウッツちうことですかな−−では、学生ボコっちゃッたセンコがいたみたいっすね。私語とか受講態度がひどすぎるので、学生ンとこまでダーッシュ、でもって、グーで凹って、かばんとかでもぶって、そして「このメスブタが〜」と魂のシャウト。さぞかしスッとしたことでしょうが、さすがにグーで凹っちゃまじーわな。定食3ヵ月もやむをえんでしょう。「メスブタ」は、やっぱ「ポチ」*1よりすごいわなぁ〜。この人が、すごく弱弱しい人で、学生からなめられまくっていたとすれば、ちょっとだけ同情しますけど・・・。ワシとこじゃ、ありえない話。だって、「このメスブタが」と怒鳴ったら、「何だよ、ただのブタ」とかゆわれそうだし、グーで殴ろうとして、ダッシュしたら、誰かに足出されて、つっころばされそうだもん。
 なんだかんだ言って、私はそういう本務校を気に入り始めている。掲示板に書いたレスをもう一つ引用する。投稿日: 2003/01/23(木) 11:09 本日社会学概論の試験ございました。前期に徹底した点数主義をとったために、空気はピリピリしていて、これがワシの試験なんだろうか、シャレにならんなあと思いつつ、これこそがGPA導入後の大学教育かもねなどと、複雑な気分に浸っておりましたところ、前の方でシュタっと手を挙げるものが一名。学生「せんせー、鼻かんでもいいですかぁ〜〜??」。ワシ「(なにこの椰子、勝手にかめばイイジャンと思いつつ)ああ、そのくらいはいいですよ。出物腫れ物何とやらですし・・・」。学生「だから、鼻かみたいんですけどぉ〜〜!!」。ワシ「え?!?」。学生「だからぁ〜」。ワシ「あ、あのもしかして、紙持ってないの?」。学生「ウン!(とコックリうなずく)」。ワシ「(手鼻でもかんどけや、ごるぁああ、それがいやなら便所でも逝ってよし!!と思いつつ)トイレ逝けばトイペとかあるけどそれでもいい?」。学生「ウン!(顔がちょっと明るくなる)」。ワシ「(おいおいてめえで逝ってかんでこいYO!と思いつつ)はいじゃあわかりまスタ」。とその時、直前にいた上級生とおぼしき椰子が、「これでかんでおいたら?」とポケットティッシュを渡す。くだんの学生「ありがとぉ〜!!!!」。ワシ「(禿げしく逝ってよしと思いつつ、上級生に感謝を込めて)よかったね。それから君どうもありがとう」。ちょくご「チ〜ンチ〜ンチ〜ン」と快活に鼻をかむ音が試験場に響いたのでありマスタ。

*1:だいぶ前だけど、学生を小馬鹿にしたような口をきいていた先生が、学生の頭をなで「よくできたなポチ」と言って、セクハラで懲戒処分となった。これに限らずセクハラ関連は笑えるような笑えないような話が多い。とある九州の短大では、学生の卒論指導で「ちゃんとやらないと俺と結婚」と学生に言い、処分された人がいるらしい。裁判での被告の発言「私と結婚するのはイヤだろうから、それを言えば励ましになると思った」。まあしかし、最近は笑えないモノも多くなっている気はする。