佐伯一麦について−−浜田真理子を聴きながら

 前期授業で一つだけ残っていた非常勤の社会学史が終わった。予約してあったので、目医者で定期検診。ふらふらほど近い吉祥寺のタワレコへ。まあ売り出した本家本元だからあるだろうと思ったら、やっぱし完備していた浜田真理子。とりあえず、『あなたへ』、『MARIKO』を購入。後者を聴きながらブログを書いている。チラシの「完全にネイティブとしか思えない英語発音と作詞センス」というストレートなセンスにぶっ飛びマスタが、「#1CROW」を聞いて得心。私は日本語の歌が好きだけど、これはありだと思う。もはや、松江に住んでいるなんてことはどうでもよくなった。キャロルキングのタペストリーだとか、初期の五輪真弓だとかを思い出し、ちょっとノスタルジア。ありとるもあ泥臭いっていうか、ブルースっちょいかも。何よりダルっとしたピアノとそして、声が(・∀・)イイ!!。一節歌うと、ブルース、ララバイ、わらべうた、民謡などと一気にワープするカンジ。おだやかなアコースティックな一節一節に、森羅万象が結晶しているなんちゅーのは、チラシもぶっ飛ぶストレートな表現になってしまうノダ。未購入は、ライブ版二枚だけかな。しかし、松江の歌はどこにも入っていないのね。そうなら、すごすぎ。
 実は、目医者で瞳を開く検査もしたので目がよく見えず、ふらふらして、タワレコの次に、ロンロンの本屋へ逝った。思考力も萎え萎えで、佐伯一麦『鉄塔家族』日本経済新聞社河合香織セックスボランティア』新潮社を購入。佐伯は、私小説書きとして注目している一人である。私にとり「自分語り」はαでありΩな問題だから。ぽんちゃんが、「生意気な」島田雅彦と対比的に佐伯の大人なきまじめを描いていたっけ。佐伯の『ア・ルースボーイ』は、この前書いた文章にも引用した。ドロップアウトした若者の勁く、ひたむきな生が描かれている。最後に重荷から解き放たれた主人公が、幼少期の性トラウマを振り払うようにして、しゃにむに尻をふる「交尾」の描写は秀逸であり、この作品のリアリティを浮き立たせていると思う。で、新聞連載の『鉄塔家族』は、逝ってよしな連中が集まって家族を作る話。野島伸司脚本でいつドラマ化されてもおかしくねぇなと思いつつ、読み進めている。分厚いけどサクサク進む。
 でも、厚いからまたあとにしようと思い、もう一冊を手にとる。やはりというか、『週刊朝日』連載のものだった。政治的な意味でも、女性が書くしかないんだろうね。だけどなんで新潮社なの?まあそれはいいけど、書きようによってはゆるさねぇぞ・・・などなどと思いつつ、気迫でめくったけど、なんかよさげです。一つの自分語りとして書いているし、また安っぽいお涙ちょうだいでも人間賛歌でもない。筆致に敬意を持った。著者を支えた障碍者女性のことばを引用しておく。「性とは自分が生まれてきた意味を確認する作業である」。参考文献に、岡山時代お世話になったきゃんぴぃ感覚=伏見憲明さんの著書があがっていたのも印象的だった。四年前の卒業生が『障碍者の性』という卒業論文を書いたのを思い出す。障碍者の女性にインタビューして書いた力作だった。話をしてもらっただけでもたいしたものだと思い、優秀作品に認定し、要旨は女子大社会学会紀要『経済と社会』に掲載されている。特筆し、紹介しておきたい。表に出ることなく、今も地味に目立たぬようにそうした運動にかかわっているこの卒業生は、広告会社勤務のぶっ飛んだ椰子だ。