教養パフォーマンス講義

 本日の文化社会学の授業は、結局このブログの浜田真理子氏についての書き込みを臨時にプリント化し、準備点検したプリントの前に話した。そして、東京と地方を往還しながら、自分の生活を大切にし、文化産業により使い捨ての消耗品にされることなく、それをクレバーに利用しながら、生きている人々について、あれやこれや話しているうちに、90分がたった。いつもは雑談している学生たちが、集中して聴いている気がした。
 教養部の講義を思い出した。一回一モチーフという感じで、あまり多くの話を詰めこむことをせず、イメージのはっきりした話をすることで主題提示をし、それをめぐって、思いつくことをいろいろと話してゆく。雑談がそのまま続いてしまうこともある。それはそれでよしとして、一気に話しきる。こういう修練を十一年間した。だから、今だに教養部的な講義の方が、話しやすい。当時の同僚で今は名古屋大学の大学院で、アジア法に関する壮大な研究プロジェクトにかかわっている鮎京正訓氏なども、名古屋に移った当初は、あの手応えが忘れられないなどとおっしゃっていた。
 もっとも、最近はそうでもなさそうだ。昨年私の母校に外国法の集中講義で来られていてーー今年も来られるようだがーーその時お話しする機会を持ったが、『若者文化のフィールドワーク』のようなギャグのネタ帳みたいなもんばかりではなく、専門的な研究をしっかりしないといけないということを、強調されていた。COEなどの申請に関わり、また国際的にいろいろ活躍していらっしゃる人の率直発言は、非常に重いものがあった。なんか殊勝な気持ちの月曜日であった。