文化社会学:カルスタ(月3 04/6/21)

てなことがあったこととはかかわりもなく、文化社会学の講義では、カルチュラルスタディーズについて概説するというまねを、やらかしました。私は、相手見境なく「カルスタ」という呼称を平気で使うような人間で、ひんしゅく買いまくりな時期もあったし、『サブカルチャー社会学*1を書いたときに、クレオールの説明に宮台真司を引用して、ごく少数の人に意味がわかっていただけたものの、大多数の人に馬鹿ぢゃねぇと言われてしまったアテクシが、カルスタなんて説明できるのかと、いぶかしがられるのもヤダし、開き直って、上野=毛利の『入門』より・・などと冒頭にががーんと掲げ、説明シマスタ。恩師の、佐藤毅氏、馬場修一氏、矢澤修次郎氏などにすすめられるまま、学生時代にはレイモンド・ウイリアムズなどを読み、先輩のマルキストにすすめられグラムシを読み、後輩の田崎英明氏@大学一年に「んなのも読んでないの」とゆわれたM1のころアルチュセールも密かに涙しながら読みマスタし、その後佐藤氏の影響もありホールも読みますたが、ちんぷんかんぷんな部分もあり、またいろいろな思いもあって、そうゆーのは一切引用もしたことがなく、カルスタっていうのは次のような映画につきてない??とか、掲示板の引用したりしてたんですけど、


『名もなきアフリカの大地で』ミマスタ。ユダヤ人の法律家一家がナチを逃れて、ケニアで暮らし、帰ってゆく話。ドイツ人にもイギリス人にもシラネとゆわれるデラシネユダヤ人を、ケニアは暖かく受け入れる。なんかなんだかんだトッ散らかった映画だなぁと思わないこともないけど、草原も、荒野も、畑も、遠い山も、湖も、そして都市も、なにもかも、ケニアの風景はとてつもなく美しくて、息をのむ。話は、夫婦の確執と和解、一人娘とケニア人の交流の二つを柱にして展開するわけだけど、後者がとびきりに、何つーか、まあ一言で言えば、めっちゃヨイ。ケニア人たちは真っ白な歯で、穏やかに笑っている。そして大地に根ざした英知に満ちている。雨乞いや、イナゴ退治やなんやかやとして、そうした英知が描かれてゆく。しかし、なんつってもこの映画の「へそ」は、料理人のオウアでしょうね。岸辺一徳の良さとにているけど、それがヴァナキュラーに自然と解け合って、めっちゃアレゴリーなんて、貧相な思想用語なんかでは、どーしようもなく歯が立たない鮮烈なイメージで、少女や両親と交錯し、静かで穏やかな感動の化学が炸裂する。暴力ではなく、こうしたリアリティがつくり得て、かつ偽善的でないのは、子どもや途上国の人といった、一種の反則技に近いものを描いたからだと、言う人もいるのかもしれないけど、ケニア人の一夫多妻やなにやらかにやら、「遅れた部分」にも目を向け、他方で西欧人の植民地主義ユダヤ差別などにも目を向け、リアリティを構築している。そして、すげえ面白いと思ったのは、この親子はけっこうあっさりケニアを棄てて帰る。帰るのは、イギリスでも、ケニアでもなく、<故郷>のドイツなのであるんだなぁ〜。ハイデガーがボコボコにされたとき、問題になったのもこの故郷だったっけなぁ〜と思いつつ、ケニアに骨を埋めることではなく、こうした帰郷をすることが、ケニアの英知に学ぶことであり、ケニアの知性はハイデガー脱構築しちゃったりしてるかもかもってことかいなと、柄にもなくぺだんちっくな御託をならべたくなっちゃいますた〜〜っていうのはともかくとして、帰郷の問題は、結局岡山から再びこっちに戻ってしまった私にはけっこう重い問題でして・・・。大学時代寮で一緒のフロアにいた竹川郁雄氏@愛媛大学に、「東京に帰らない方がよかったのではないでしょうか」と言われ、考え込んでいましたが、なんかそういう面で一つのヒントを得たようにも思いマスタ。ケニアの風景はとてつもなく美しいけど、さだまさしの「風に立つライオン」にあるような甘美な納得は許してくれない厳しさをさりげなく内包している。そういう高邁さに対しては、演歌調でさだまさしを歌って、悪いカヨごるぁあああと言いたくなるけど、そういうごるぁああは、料理人の穏やかな表情には届かない。だめ押しのようなのが、ラストのバナナをもらうシーン。少女のセリフは、がつんとくるものがありました。ユーモアがあると自負しているイギリス人をコケにするような、ブラックユーモア。しかし、「ブラック」などという形容が、やくざで陳腐なものでしかないと痛感してしまうような、アフリカの知性がそこには濃縮されている。何回かみてみないと、とっちらかっているかどうか、わからんちんですわ。しかし、アカデミー賞なんかもらっちゃっているのは、なんかヘンだと思うのは私だけでしょうか。それとも、よく見ると結局そういう作品なのでしょうか。−−デラシネとしてのユダヤ人。移動民。ディアスポラ・・・。それを感覚的に理解できると思う。

*1:サブカルチャーの社会学 (SEKAISHISO SEMINAR)