三浦展『スカイツリー 東京下町散歩』

 三浦展氏よりずいぶん前に本をいただいた。最近、いそがしく、というか、授業の数が十を超えているので、なかなか時間に余裕がなく、お礼が送れてしまった。いつもいつも本当に申し訳なく思っています.ありがとうございました。
 三浦氏は、ファスト消費的な街並みの拡がり、つまりはテナントやアンテナショップの増殖に対してどちらかというと批判的で、他方、高円寺的なものなどに対してそれなりの思いを持って、仕事をされてきた人であるというのが私の理解である。これまでのお仕事でも、街の面白さを説得的に読者に伝えてこられた。その三浦氏が、東京の下町を散歩するというのは、横浜の下町に生まれ育って暮らしている私には大変興味深いことである。著者ご自身の紹介などが、アマゾンに掲載されたいた。

スカイツリー 東京下町散歩 (朝日新書)

スカイツリー 東京下町散歩 (朝日新書)

内容紹介
スカイツリーの向こうには、まだ見ぬ町があった。押上、向島、北千住、立石、小岩など、明治以来の東京の広がりによってできた「新しい下町」。路地裏、花街を歩き、銭湯につかり、居酒屋で飲みながら、同潤会モダニズム建築に江戸東京の田園都市の幻影を見る―。町歩きの達人が、それぞれの町の歴史、個性、魅力を探り出した「新東京論」。

著者から
 下町を繁く散歩したいと思うようになったのは三年ほど前であろうか。郊外の巨大ショッピングモールを取材に行った帰り、たまたま浅草に立ち寄った私は言いしれぬ安堵感に包まれた。すべてが消費のために計画された、外部に対して閉じたショッピングモールという人工空間の中を歩いていて、私の心は締め付けられて、窒息しそうになっていたのだ。それが浅草の町に降り立った途端、解放された。ああ、これからは下町で飲もう、と思った。
 散歩をすることの最大の意味は、それぞれの町にいろいろな職業の人々がいて、いろいろな幸せを求めながら生きているということを、肌で実感することにあると私は思っている。特に下町を歩く場合、下町が単に地形的に低いから下町なのではなく、われわれの生活、経済、産業などを下から支えている町だということを、あらためて実感することができる。そこにはきらびやかな商品はない。ゴムとかネジとかバネとか、われわれが見過ごしがちな部品をつくる人々、あるいは廃棄された紙や衣類を再生する人々が、静かに働いている。
 また、下町散歩を開始するやいなや、東日本大震災が起きた。計画していた散歩もふた月ほど中断した。そして、震災で仕事を奪われ、体育館や仮設住宅で暮らし続ける被災者をテレビなどで見ていると、関東大震災後に同潤会が当時としては先進的な住宅をつくり、住居だけでなく商店や職業紹介所などの機能も提供したことが頭に浮かんだ。  本書でも少し触れたように、東京の下町は震災と戦災で大きな被害を受けている。そう思うと、下町を歩くことは、東日本大震災後にわれわれが町をどう復旧するべきか、あるいはいずれ来ることが予測されている東京圏の震災にどう立ち向かうのか、その後の東京はどうなるのか、といった巨大なテーマも暗黙の内に含んでいると思われた。もちろん、その難題への解答を私は得ていない。散歩をして、銭湯に行って、焼酎を飲んでも、頭の中はなかなか空っぽにはならない。(「一冊の本」から抜粋)
http://p.tl/tDP3

 ここにも書かれているが、震災復興と関わるような論点も出されており、またいくつかの企画にも携わっておられると聞く。今後それがどのような展開を見せるか、個人的には大変楽しみである。新潟高田の出身である三浦氏ならではの提案もあるのではないかと考えている。
 もう一つは、職人的なものへの着眼である。昨今の経済事情その他もあり、町工場などへの注目度は高まっている。ほこ×たてなど、娯楽番組も各種生み出されるに至っている。その辺のことがらをも視野に入れながら、散歩が語られている。私としては切り口を変えて、仕事論として一冊まとまったらいいなぁと思ったりもするのである。