新原道信『旅をして、出会い、ともに考える』

 新原道信さんからずいぶん前に『旅をして、出会い、ともに考える-大学で初めてフィールドワークをするひとのために-』をいただいた。いつもほんとうにすみません。心よりお礼申し上げます。吉祥寺のジュンク堂で、「平積み」(正確に言えば立てかけてあったのですが)になっているのを見て思い出し、何かを書こうと思い立ちました。

内容

 イタリアを「寄港地」として、これから国際フィールドワークを始めるひとのための基本と裏舞台を紹介した本。
 「いま私たちは、本当に困難な時代に直面しています。たったひとりで“異郷/異教/異境”の地を旅するような感覚を持たざるを得ません。事故や災害や病気などの『見知らぬ明日』を前にして、それでも最初の一歩を踏み出そうとするときに、この本は、足元を照らしてくれる懐中電灯となるはずです。建物の最上階にいてすべてわかってしまうような『優秀さ』ではないかもしれません。曲がりくねった道を、ゆっくり歩いて行って、やわらかく、深く、本当に困ったときの力となってくれる智、よき友に出会ってください」(著者)
http://www2.chuo-u.ac.jp/up/isbn/ISBN978-4-8057-2703-4.htm

目次

はじめに―“旅/フィールドワーク”のすすめ;序章 “旅/フィールドワーク”の下準備;第1章 “旅の往路”―アゾレスへ;第2章 サルデーニャへ―たった一人で“異郷/異教/異境”の地に降り立つ;第3章 “痛み/傷み/悼み”をともにする;第4章 “旅の復路”で起こること;終章 “旅/フィールドワーク”に向けてのアドバイス―出会った土地やひとを忘れずに「曲がりくねった道」を行く;おわりに―“旅/フィールドワーク”は続く
著者紹介
http://www2.chuo-u.ac.jp/up/isbn/2703-4.pdf

 下記の難波さんたちの本の紹介で、『和文英訳の修行』のことを書いたが、がむしゃらな乱取り修行を経た上でないと、体得されない技芸がある。フィールドワークというのもその一つで、教育はやっつけになってしまう傾向が私の場合ある。共著者も、福祉の実習などで大事なのはノウハウより精神論と言いきっていた。やっつけだとか、精神論だとか、いろいろなことばを当てはめてきたことがらに、明確な股ぐら一本スジ通して、社会に送り出すのが、私たちのすべきことなんだろうと、あらためて思う。
 新原さんは、一方でみじんも揺らがないオーソドックスな方法で地域社会学の研究をしてきた人である。お仕事のひとつひとつは、ちゃらつきとは無縁のもので、流行の用語などを当てはめたりせず、調査したものと向かい合い、考え抜く姿勢が感じられる。講義でも、こうした向かい合いの姿勢を繰り返し説き、長大なレポートを課題としていると、側聞している。そういう教育経験も踏まえて、初学者にフィールドワークを説いたのが、本書である。
 イタリア研究、沖縄研究、メルッチとの対話などと関わる新原さんのご研究の要諦が、ざっくりと示されている。ひとことで「旅」と言いきってしまうと、台無しなのかもしれないが、それでも、安直なノウハウに解消できないような、方法のありようは、浮かび上がると思う。この場合、内容を体系的に腑分けして論じる、というようなことは、なかなか考えにくい。
 フィールド、主題、理論、人、方法などが、骨太にしっかりした研究者であることを、再確認した。と同時に、自分は何をやってきたのか、と考えると、頭を抱えてしまう。来年度、改組された大学院で「論文プレゼンテーション技法」という講義を担当する。それまでに何かを考えなくてはいけないのだが。