小森潔・津島知明『枕草子 創造と新生』

 学生時代、東村山の塾でアルバイトをしていた。小さな補習塾だったが、地元の悪ガキたちが集まっていて、腕っ節の強い塾長が生徒たちの信頼を集めていた。その姿や、そこでの体験が、仕事の基礎をつくってくれたものであると考えている。
 その塾には大学のアルバイト募集掲示を見て集まってきた、つまりはあまり要領がいいとは言えない、教師が集まっていた。これまでその先生方と意外なところで再会することをくりかえしてきたのは、ちょっと驚くことだと思う。私の本務校に非常勤で来ている私の母校の先生だとか、私の非常勤先を本務校とされる先生だとか、私の同僚の前任校で同僚だった先生とか。そうしたなかで、アルバイトの勤務歴も長く、お話しする機会が多かったのが、時折フランス思想や哲学の本を送ってくださる阿部一智さんと、枕草子の津島知明さんである。
 その津島知明さんが、枕草子と関わる編著を送ってくださった。悪ガキにシモネタふかしまくってなんとか教師面していた私と違い、津島さんは淡々と国語を教え、生徒たち、特に女子生徒たちの人気の高かった先生である。普通なら、チェッと舌打ちの一つもしたくなるところなのだが、古典文学ばかりではなく、歌謡曲の歌詞などの話題や、自らの詩作などの話が抜群に面白く、アルバイトをやめたあとも何度か集まったりした。その後も、英語圏での枕草子、批評用語を用いた議論などの比較的ポップなお仕事から、アカデミックで本格的な枕草子論に至るまで、いろいろなお仕事を送ってくださる。
 今回送ってくださったお仕事は、日本文学協会の部会としてつくられた「枕草子の会」の研究成果であるという。枕草子は、非常に有名な作品ながら、源氏物語などと比べて、圧倒的に研究状況に差がある「特殊で不遇な」境遇の作品なのだという。そうした作品と向かい合ってきた研究者たちが集まってつくったのが、本書である。津島さんが書いている概要を書き抜いておく。

枕草子 創造と新生

枕草子 創造と新生

 せっかくなので自由論文の寄せ集めではなく、現時点での総括と今後の指針となるようなテーマを設定し、メンバーに分担してもらうことになった。・・・カバーしきれない分野には会員外の強力も仰げたことで、理想的な布陣に近付けたと自負している。・・・
 第一部「創造する枕草子」では、「和漢典籍」「信仰・習俗・儀式」「色彩・季節」「装束・身体」「建築・空間」「和歌と散文」「古記録・史実」「家系」という多様な視点から、枕草子が創造した世界と改めて向き合い、その特性・属性をひとつひとつ丁寧に炙り出そうと試みた。第二部「新生する枕草子」では「諸本・異本」「狭衣物語」「近世の注釈」「枕草子と教育」「小説・評論」「漫画」「海外の研究」という切り口から、枕草子がいかに受容/変容され、また生まれ変わっていったか、時代時代の様相を捉え直してみた。全編を通じて、枕草子をめぐる諸問題を網羅する形となっている。巻末には、精緻な「枕草子関連作品リスト」も掲載することができた。
 先にひたすら本文におぼれると述べたが、それは決して閉じた世界に安住することを意味しない。毎回の議論を踏まえ、改めて各人が挑んだ枕草子との対話は、「文学史上の位置づけ」といった大局にも通じる道標たり得ていると、実は密かに確信もしている。

 あとがきでもう一人の編者が、実利的な趨勢のなかで、文学研究/教育の現状について語っているのが目についた。専門教育だったのが、一般教育に、さらには授業題目が「文学とメディア」に変わり、ついには文学の文言が科目名から消えた、と。同様の文学の運命を目にすることは多い。多数の教科書編纂とも関わり、中等教育経験もある教育/研究者が、「枕草子の創造と新生」と題された本を編むことの意味が、鮮明なイメージとなって立ち上がる。
 こうした場をお持ちの津島さんを羨ましく思う。ありがとうございました。