鈴木弘輝『憲法教育と社会理論』

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 ブリッジブック社会学では多摩の先生たちといっしょに一列にならびえびぞりになって、「えびぞりになって読むべし」とシャウトしたこーきたんであったが、今回めでたく単著を出された。情報は別から得ていて、宮台ゼミの師範代こーきたんの初のご単著は、こーきたんのえびぞり社会学とかだったらどうしよう、とか、額に豊丸とかマジックで書いてあったら立ちなおれないくらい笑うよな、とか、くだらないことを考えていたのだが、そうではなかった。
 ともかく最初にひとりで書いた本を出すというのはうれしいものである。そして、その本は一生のなかで一番大事な作品になる。私の恩師はよくそう言った。そして、そうだろうな、と今では思う。いろいろ本を頂いて恐縮するばかりである。ありがとうございました。まだ読んでいませんが、一応出版社のサイトを紹介してみた。もらう一方だけじゃなく、こっちも出さないといかんなぁ、と思う今日この頃。

憲法教育と社会理論―立憲主義は現代教育に通用するか

憲法教育と社会理論―立憲主義は現代教育に通用するか

内容説明

「規律訓練型管理」の「近代教育」は抑圧的なものである。しかしすでにそうした議論自体が新たな抑圧を生じさせているのではないだろうか。「抑圧から逃れなければならない」だから「自立」しなくてはならない、と。「集団の維持」と「それぞれの自立」への二極化のなかで必要になること。立憲主義の社会観がその手がかりになる。

目次

序 章 「近代教育」からの解放?追放?――本書の問題意識について
 「近代教育の限界」に関する議論
 「日本の学校教育をめぐる状況」の一端  
 「近代教育」からの解放?追放?


第1章 「憲法教育」とは何か――本書の目的と思考枠組について
 「憲法教育」という言葉の意味
 「二つの『社会』の並存」という考え方
 本書の流れ


第2章 『現代社会』教科書が示す「社会」観――三つの「自己実現のための実践」を「立憲主義」によって検討する
 「『社会』を教育する」ことの意味
 『現代社会』教科書の内容
 『現代社会』教科書と「立憲主義


第3章 戦後日本の学校教育における「教育権」――「国民の教育権論」を検討する
 「教育を受ける権利」=「教育権」をめぐる議論
 「国民の教育権論」の内容
 「国民の教育権論」の歴史的経緯
 「国民の教育権論」の「社会」観


第4章 戦後日本の教育における「価値多元主義」――「国民の教育権論」を批判する「教育行政=制度論」を検討する
 批判される「国民の教育権論」
 デュルケムとロールズの「継ぎ木」
 「教育行政=制度論」の「社会」観


第5章 「価値多元主義」を維持・展開する方策――「教育権の再生産論」と「切り札としての人権論」を取り上げる
 再び批判される「国民の教育権論」
 ブルデューの「再生産論」に依拠した「国民の教育権論」批判
 教育システムの自律性
 切り札としての人権論
 「システムの自律性」への対抗


第6章 「価値多元主義」の実践へ向けて――ブルデューの「グローバリズム批判」を検討する
 ブルデューの来歴
 『世界の悲惨』のブルデュー
 晩年のブルデューの実践
 二つのコミュニケーションの「乖離」
 新たな「価値多元主義」に向けた「二つの『人間』観」の構築
 新たな時代の「憲法教育」


あとがき/文献/索引
http://www.keisoshobo.co.jp/book/b50777.html

 憲法論や教育論としては、しかるべく書評がいろいろ出るだろうと思う。教育界などでどう読まれるかなど、楽しみだろう。新書も勢いで出してしまうとか。それはともかく、この本の見所はやはり「あとがき」だと思う。えびぞるというよりは、クラウチングスタイルのシャウトだと思う。そして、そこを読んで、全体を見回し、6章までみると、やろうとしていることは見えてくる。