ガラパゴス京大はいずこへ

 京大といえば、学生運動がとっくに終わった後も、赤ヘルちゃんが座り込みして、新入生を迎えたりしていて、タイムラグをガラパゴスなどと呼ばれていたことを思い出す。文学部なんかは、たしか冬くらいになって、とりたい科目を履修登録みたいなふうにきいたこともあるし、さらには、留年率もすごいモンがあって、四年で卒業するのは恥というフォークロアすらあった。もっとも当時は、東大だとか東北大も文学部の留年率は、五割を超えていたんじゃないのかな。別に自分が五年やった言い訳をしているわけじゃないけどね。w
 その京大が、学生の「厚生補導」に力を入れ始めたというのは、かなり前から耳にしていた。家庭訪問だか、授業参観だか、やるとかいう噂もあった。まあ、この大学は自殺が多い大学というフォークロアもあって、私の在任期間にほとんど自殺がなかった(最後の年にひとつだけあっただけ)岡大とよく比較されていたので、面倒をみる必要はあるんだろうけど。

薬物ダメ、自転車マナー…京大が授業で「社会常識」

(読売新聞 - 11月22日 09:09)


 京都大は、学生の相次ぐ薬物事件などを受けて、新入生を対象に法令順守などを教える初年次教育を2010年度から実施する方針を固めた。


 これまで教員の間では「学生はもう大人。そこまでやる必要はない」との意見が多数派だったが、次第に危機感が広がったためで、交通マナーを教える講義も予定されている。自由の学風、自学自習の伝統で知られた京大の〈方向転換〉は、大学全入時代を迎えた大学の役割変化を象徴するものとして注目されそうだ。


 京大では数年前から、学部単位で、向学の心構えなどを教える初年次教育を実施していた。しかし、学習意欲のない学生が目立つようになった上、今年は2人の学生が大麻覚せい剤を所持したとして逮捕された。


 このため大学側は、「人間としての基礎的な教育」に重点を移し、全学共通カリキュラムとすることを決定。教育・研究の質の向上などを目指し、2010年度からの6年間を期間とする「中期目標・中期計画」に盛り込むことにした。


 法令順守については、薬物の危険性を科学的に解説するビデオを見せるほか、過去の学生による事件を例に人権の大切さなどを教える。スピードを出して歩道を走るなど、大学周辺で苦情の多い自転車のマナーについても教育する。


 さらに、自分の将来像をイメージさせるキャリア教育や、カルト集団、自殺願望への対処方法などのメンタルヘルス教育も行う。


 初年次教育の講義は前期に開講し、10〜15コマを予定。10年度から試行的に始め、11年度からは単位化する計画だ。


 西村周三副学長は「法令順守などは当然のことで、あえて大学で教えるかどうかは悩ましいところだが、入学直後は非常に重要な時期だと考え、実施に踏み切る」としている。


◆他大学にも動き広がる◆
 こうした動きは他の大学にも広がっており、立命館大では、2、3年生有志が、1年前期の基礎演習の授業時間に、大学生活の送り方などを指導。オリエンテーションでは薬物の危険性も教えている。大麻所持や振り込め詐欺事件に絡んで逮捕者が相次いだ関西大では、新入生らを対象に「スタディ・スキル科目」を実施。来年度からは、薬物の危険を教えるなど、法令順守やモラルの教育にも力を入れるという。


 ◆初年次教育=大学生活に適応させることが主目的の総合的教育プログラム。1970年代後半、米国で始まったとされる。2008年度の文部科学省の調査では、全国の国公私立大742校のうち、8割の570校が、文章作成作法や口頭発表技法など、学問に対する動機付けのカリキュラムなどを実施している。
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1028387&media_id=20

 シラバスとか、ルールとか、いろんなことは、優等生ほどうるさいところはあると思う。しかし、スキル科目もやるというのは、かなり驚きだ。15年前くらいに香川大学が作文の講義や新聞を読むような工夫を始めたときにかなり注目された。同時期信州大学は高校の補習を始めた。
 うちの大学でも大量に文章を書かせて、コメントをつけて返すようなゼミが大好評で、オマエのはたるんでいるなどと、お叱りを受けたりした。私は、書きつけられたドキュメントが蓄積されることよりも、質問のキャッチボールをして、質問攻めにする仲で、頼るものない状態で、考えることを工夫しているんだが、あまり評判はよくない。けっこうこっちは面白いのだが。
 向上心はある。1年ゼミで、鳩山総理の英語論文を宿題にしたら、けっこうみんな喜んで準備してきたし、ゼミもけっこう手応えがあった。かなり準備に時間をかける必要がある。某歴史学の大家が退職の時におっしゃっていたことを思い出す。これからは、学内での研究交流を熱心に、それから、研究よりも教育を熱心に。
 ネコの眼のように文教政策が方向転換される。こういう時代を生き抜くのは、芯のぶれない教養が必要なのだろう。それを考えることが、自分の課題なんだなぁと思う。