現代毒婦考

20(初回生産限定盤)(DVD付)

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 最近大学改革がらみの調査研究などもたくさんあって、アンケートとかがいろいろ来る。みていると、なんか誘導尋問みたいなのもたくさんあって、どういう方向に議論をもっていきたいかよくわかる。成績評価の客観化、業績評価の客観化というようなことはあるんだと思うし、それが今の大衆的な大学には必要だというのもわからんこともない。放任でぐだぐだでいいというのは、バブル期に鬼のように大学が増える前のことだという友人の発言もわかる。社会人を集めようと思ったら、そんなところに来るンだろうか、とも思ったりもするが、それも一部の余裕こいた人間の言えること、という理屈が飛んでくる。うちの大学のキャッチコピーの一つに、芯があるからぶれないというのがある。教養主義を掲げる大学で教えているので、このことばを噛みしめてみたいと思う。
 週刊新潮の広告に、例のアカサギのことを『「毒婦」のグロテスク人生』という特集記事にしている。「誰も美人詐欺師と言えない」みたいな筆致は、これってぜってぇ中瀬ゆかりだよな、などと思う。毒婦で検索すると、トップになにが来るか、やっぱあべさだかな、と思ったら、高橋お伝が多い。日本で最初に絞首刑になった人みたいだ。某サイトには、「阿倍定。大正琴の定番「明治一代女」のモデルとして知られる花井お梅と並び、日本三大毒婦などと呼ばれておる高橋お伝ですが、芝居や小説(仮名垣魯文は「高橋阿伝夜叉譚」大もうけした)で語られるような淫靡な連続殺人ではなく、生活費欲しさのための売春、殺人事件です。今、お伝は南千住の回向院という寺にネズミ小僧と並んで眠っています。」などと紹介されていた。
 で、現代の毒婦のほうは、一方がニッチェをパワーアップしたカンジで、もう一方は西川峰子と大人になった斉藤こずえを足して、数段パワフルにしたカンジで、どっちかというと後者のほうが鯨飲馬食なカンジもする。和歌山のマスミンは、毒婦とはいわれなかったと思うが、それはやっぱり性がらみじゃなかったからなんだろうね。うちのゼミでは、夫の賢治容疑者がせくすぃかとか、くだらん話題になっていたけど、音羽のお受験殺人の山田某とマスミンとどっちがせくすぃか、みたいな、ネットヲタ垂涎の話題については、あまり話題になっていなかったもの。と書いておいて、調べたら、やっぱり平成の毒婦と言われていました。意味が違うのかもしれないけど。
 まあでも、デブが癒し系とか、お人好しとか、誰が決めたんだよ、というのはあるよな。ワシなんかも、某氏が依存的パーソナリティ垂涎のキャラとか言いやがって、非常に心外なものがあったよなぁ。どっちかというと、一番タゲりにくいタイプだと思うのよね。こっちも依存的パーソナリティで、しかもへなちょこな人たちよりも意地悪い面もあるから、すかしまくるわけだし。どっちかというと、ダスティ・ローデスのイメージでみられるよりも、悪魔のようなデヴと言われた、クラッシャー・バンバンビガロのイメージでみて欲しい面はあるけどね。
 まあしかし、時代がBBWなプランパァ、ということならば、ビフォアアフターもへったくれもないじゃないの、と思ったりもする。別に今はじまったことでもないとも思う。それにしても、絵にならないから話題にならない、ということはあるだろうね。ただ、こんなことはいくらでもあったわけだよね。結婚詐欺がらみの巨額横領事件なんかでは、なんでこんな男に、みたいなことはたくさんあったわけだし。
 今回の事件がすごいのは、何人も死んでいるかもしれないということで、活それがなんで死んだのかわけがわからないということにつきるんだろうし。