日本社会学会@立教 一日目午前

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 この連休は日本社会学会で池袋へ。非常勤に行っている大学なので、妙な感じ。いつもは必要なところだけ、カサコソ動いていたから気づかなかったけど、奥のほうとか行くと、この大学かなりいいキャンパスですね。うちの修士の学生たちも来ていて、学内を「観光」していました。朝早く出て、いつもの駅前サウナで一風呂あびて部会へ、と思ったが、気持ちよく爆睡して、ギリギリセーフという感じだった。顔見知りの立教のスタッフの先生方が、くたくたに疲れた顔をされていて、顔も土色に見えた。主催校はものすごく大変なことは、別の学会で体験済みで、「お疲れ様」というのがやっとだった。午前中はこの部会に。

アメリカ(民族・エスニシティ(1)
1. 合衆国移民取締り政策の転換の労働現場・地域への影響―― G.W. ブッシュ政権末期における労働現場検挙戦略の社会的な機能 一橋大学 小井土彰宏
2. 社会運動ユニオニズムと制度化――アメリカの建設労組と移民組織の連携を事例に
 東北大学 惠羅さとみ
3. アメリ在郷軍人会と国民史教育――ハロルド・ラッグ教科書排斥運動の高揚過程
 一橋大学 望戸愛果
4. 神話としてのアメリカン・フロンティア――「トール・トーク」の成立条件についての社会学的研究 青山賢治
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jss/research/conf82_p.html

 単純でナイーブな図式に回収されてしまっていて気づきにくい、さらにはタブー視すらされてしまうような問題を対象化することで、あたらしい社会科学が開示される。これまでド・セルトーやスペルペルなどを引用しながら、思想用語、批評用語をあてはめてすませていたような領域において、本格的な調査研究、歴史研究が成果を問い始めたことは、実に刺激的だった。
 1〜3では、アカデミックな成果のみならず、日本の現状を打開するような政策的対応への示唆も示されていたように思う。20世紀初頭の工業化は、様々な貧困層の問題を対象化し、そこへの効果的で現実的な対応を志向する社会科学者たちは、シカゴ学派を生み出し、さらには構造機能主義といったパラダイムを生み出してゆく。格差社会グローバル化が生み出す、切実な問題と向かいあう今日の社会科学者たちが、斬新なパラダイムを生み出しても不思議はないだろう。大ボラは一切交えず、実証的な成果のみが発表されたが、ワクワクした気持ちになった。
 あるロックミュージシャンが、今日の新しいボランタリズムは三代目のBMWを買うような金持ちの座興にすぎない、というようなことを言っていたことを思い出した。1〜3の報告は、新しい社会運動といった考え方に対し、そんな反省を迫るようなものに感じられた。対抗的相補性だとか、いろいろ積み上げられてきた概念にどのようにコミットするんだろう、などとも思ったが、門外漢が質問することでもないのでひかえた。私は、ウッドストックビートルズも若者の動員、組織化みたいに考えることにしているので、移民の組織化動員に着目する第2報告は特に興味深かった。
 第4報告は、別のプロジェクトの一巻で、多様な境界線の重なり、そこにアンバランスな均衡として成立する文化表象を繊細に読みほどいた佳品だったと思うが、時間がおしていて、気の毒な感じだった。時間があれば、かなり前三つの報告とすり合わせも可能だったように思う。プログラムを組む人は、上手く組むモンだなぁ、と思う。と同時に、モチーフをあえて、司会者には示し、それを採用するかしないかは司会者にゆだねるというような工夫があってもよかったのではないだろうか。
 部会の司会者は、タイムキーパーならぬタイムブレイカーを自称しているらしいが、今日も若干あれで、でも「私が司会したなかでは一番早く終わりマスタ」と嘯いていた。「私の責任において時間はとります」などとカッコつけていたが、終わった後手伝いの学生さんたちに米つきバッタのように謝っていた。