柴田寿子『リベラル・デモクラシーと神権政治』

Our Girl in Havana

Our Girl in Havana

 三浦展が『職業としての学問』の現代訳を出して、若者論としてウェーバーを読むということをやったのと前後して、柴田寿子さんの遺著が出版された。田中浩先生が下さるとおっしゃったのだが、世間知らずの私は香典に3000円しかもっていかなかなくて、友人にさんざんバカにされた経緯もあり、供養の意味も込めて注文して購入した。
 学部の卒論では、ヘーゲルの論理学の本質論から概念論への展開を基礎にしながら、法哲学を解釈するようなことをされていた記憶がある。そのあとスピノザ研究を始められ、流行の方向性とは違うせんで仕事をするようなことを伺ったのが、話をした最後になったかもしれない。
 本を手にして、パラパラとめくってみたら、遺稿の処理にあたった門下の学生さんたちの高い力量もあるのだろうが、格調の高い骨太な視点で、非常に「本格派っぽい」立論がなされている。生意気を言っているように聞こえるかもしれないが、昔はゼミの面々で国立の焼鳥屋あたりで毎週のように飲んだくれていた仲間であるからして、どうしても「本格派っぽい」などと言いたくなるのである。しかし、ここに描き込まれている論は、もはやそうやって茶化せるような水準をはるかに超えた高水準にあるのかもしれないと思った。

リベラル・デモクラシーと神権政治―スピノザからレオ・シュトラウスまで

リベラル・デモクラシーと神権政治―スピノザからレオ・シュトラウスまで

内容紹介
宗教対立に絡んだ紛争が多発し,原理主義が活発化する現在,政治と宗教をめぐる問題をどう捉えるか.スピノザを軸にホッブズマルクスレオ・シュトラウスらをたどりながら,「リベラル・デモクラシーの政治体制」と「啓示による政治体制」との接合を探ってきた思想の系譜を明らかにする.本年2月に急逝した著者の遺作.


主要目次
はじめに
第I部 リベラル・デモクラシーに内在する宗教の問題
第一章 グローバルなリベラル・デモクラシーとヴァイマールの亡霊
    ――現代アメリカにおけるレオ・シュトラウスの浮上は何を物語るのか?
第二章 同化主義とシオニズムのはざま――レオ・シュトラウススピノザの背反と交錯
第II部 近世・近代における政治・理性・啓示の関係
第三章 西欧近世における開放的共存の思考様式――スピノザにおける神権政治と民主政
第四章 古典主義時代における歴史の概念と政治神学
    ――聖書解釈におけるホッブズスピノザの相違は何を帰結するのか?
第五章 コスモポリタン・デモクラシーと理性vs.啓示の争い
    ――〈理性の公的使用〉にみるカントの政治的判断力
第III部 ヴァイマール期から現代にいたる政治と宗教の問題
第六章 政治的公共圏と歴史認識――アーレントにおける「光の物語」と「闇の記憶」
第七章 構成的権力論と反ユダヤ主義――力と法をめぐるシュミットとスピノザの邂逅
第八章 ポスト形而上学時代における政治的「無神論」――マルクス「宗教一般」の再検討
あとがき/追記/参考文献/索引
http://www.utp.or.jp/bd/978-4-13-010111-0.html

あとがきは、実に切々たるものがある。エール大学での在外研究が決まり、海外での研究交流や資料収集を踏まえ、帰国後に満を持して、本を書く予定だったのが、そこで突然発病し、しかもそれがなかなかの難物なようなのだ・・・、柴田さんらしく、さらっと書いているが、切々たるものがある。
 書かれていることは、アーレントなども踏まえ、今日の公衆の社会学に対してもインパクトのある立論であり、ミルズをやっている私もじっくり味読して、勉強したいと思う。忙しくて気持ちが折れかかったときには、この本を開いて、大学院を目指して必死に勉強した頃を思い出したいと思った。