中島道男『バウマン社会理論の射程 ポストモダニティと倫理』

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 中島道男先生から、近著を送っていただいた。岡山時代たいへんお世話になったT先生が中島先生と同級生ということで、T先生の挙式で知遇を得て、それで献本申し上げたりしたことで、お気遣いいただいたのだと思っている。忙しくて、まだめくった程度なのだが、忘れてしまうといけないので書く。
 中島先生は、デュルケムの制度論についての大著を発表したことで知られている。デュルケムの制度論といっても、学派的伝統とでもいうのか、集合意識の論じ方一つとってみても、マグマのような流動を読み解くというのが基本で、統合的な議論とは一線を画している。京都大学社会学は、日本の社会学が、デュルケムからパーソンズに至る機能主義的な、とひとくくりに言っていいかどうかわからないが、論脈を、変動や反同調や部分の自律性に照準して、再構成するという独自の成果をあげるにあたり、大きな貢献してきた、と私は考えている。
デュルケムの「制度」理論

デュルケムの「制度」理論

 それが、液状化、個人化のバウマン、というのだから、納得、と思ったら、ポストモダニティのほうに重心を置き、倫理を読み解く、という、今日的な社会状況、学問状況を考えると、ねらい澄ましたというか、エッジの立った問題提起をした本になっているように思われた。

バウマン社会理論の射程―ポストモダニティと倫理

バウマン社会理論の射程―ポストモダニティと倫理

▼紹介
個人化や私化が加速度的に進み、流動性・不確実性が高まった時代として現代を把捉するバウマン社会理論の核心とは何か。バウマンが公共哲学としての社会学を構想していることを、著作を丹念に読み込んで論証し、バウマンの思想の中核を明らかにする。


▼目次
まえがき


第1章 ポストモダニティ・道徳・デュルケム
 1 バウマンとは誰か
 2 ホロコーストと近代
 3 モダニティからポストモダニティへ
 4 ポストモダニティと倫理・道徳
 5 バウマンのデュルケム批判
 6 バウマン道徳論のスタンス
 7 バウマンとデュルケム
 8 倫理と道徳


第2章 道徳と政治のあいだ
 1 モダニティ/ポストモダニティ、あるいは、倫理/道徳
 2 「他者とともにあること」と「他者のためにあること」
 3 道徳と政治のあいだ
 4 道徳を拠点にした社会批判の可能性


第3章 道徳論の解釈をめぐって――批判的検討
 1 シリング=メラーによる解釈
 2 ユンゲによる解釈
 3 シリング=メラーの社会学史理解


補論 〈公共哲学としての社会学〉へのいくつかの途


第4章 政治と個人
 1 コミュニタリアニズムへのアンビヴァレンス
 2 “政治を求める”個人
 3 私化、あるいは政治の不在
 4 道徳的社会学の構想


第5章 道徳の理論と社会の理論
 1 問題の所在(1)
 2 いくつかの事例
 3 贈与論の立場から
 4 問題の所在(2)
 5 可能性としてのグローバリゼーション
 6 〈社会学の野心〉


付論A 制度と社会学――デュルケム=ベラーの系譜から
 1 問題
 2 転換期と制度
 3 リベラル/コミュニタリアン論争と制度
 4 制度批判と公共哲学としての社会科学
 5 現代社会理論と制度


付論B 社会批判の二つの形態――デュルケムとの関連で
 1 デュルケムの社会批判のスタンス
 2 内在的社会批判と外在的社会批判
 3 内在的社会批判の理論的根拠


終章 バウマン社会理論と個人の道徳性
 1 〈希望のユートピアン〉
 2 バウマン社会理論と個人の道徳性との関連
 3 バウマン/デュルケム


あとがき
▼著者プロフィール
中島 道男(ナカジマ ミチオ)●著…1954年、島根県生まれ。京都大学文学部卒業、京都大学大学院文学研究科博士課程中退。現在、奈良女子大学文学部教授。専攻は社会学。著書に『エミール・デュルケム』(東信堂)、『デュルケムの〈制度〉理論』(恒星社厚生閣)、翻訳書にジグムント・バウマン『廃棄された生』(昭和堂)など。
http://www.seikyusha.co.jp/books/ISBN978-4-7872-3302-8.html

 タネンバウムによる地下鉄のミュージシャン論について、20枚ばかりの書評を書いたところで、どうしてもそこにひきつけて読んでしまう。アンダーグラウンドな文化シーンを論じる場合も、公共性、自律性をどう包絡するかということが問題となる。まして、アドボカシーとか、社会運動、社会形成などということを考えると、機能的自律性などの問題は不可避である。そこで、<個>の問題に立ち返りながら、バウマンを読むことは、重要な問題だし、『Do!ソシオロジー』なんかでも同じような問題提起がなされていて、授業が再開する前に熟読しておきたいと思う。

地下鉄のミュージシャン ニューヨークにおける音楽と政治

地下鉄のミュージシャン ニューヨークにおける音楽と政治

 さらに、予告編で、最近大注目を集めているアレントをこの観点から、考えてみたいということが、宣言されている。反自然主義、技術的理性、あるいは公共性や倫理について、いろいろな議論がせめぎ合っている今日、実に刺激的な仕事になるのではないかと思った。と同時に、大衆社会論はもう一回考える必要があるのかなぁとも思った。