国際社会論試験

 東京女子大学の現代教養学部の国際社会学科には、学科共通の学びの両輪となる基礎科目として、リレー式の国際社会論という科目と、もう一つ国際関係、経済学、社会学の三専攻が混成クラスのなって学ぶ国際社会基礎演習という科目が設けられています。前者で学びのモチーフを提示し、後者でその錬成を行い、それぞれの専攻を核として、四年間研究を行う土台作りをするというカンジだと思います。
 授業それ自体どうだったかは、アンケートも採りましたし、これからの検討課題だと思います。ただ、試験をしてみて、やってよかった面もあるかもしれない、と殊勝にも思ってしまいました。女子大最大級の教室が試験室でしたが、試験はひとりおきに座るので、ほぼ満員で、かなりの緊張感が漂っていました。講義を2回ずつ担当した6人の教員が論述問題を出題し、異なる専攻にまたがり二題解答するというのが、試験のやり方です。
 答案用紙は1人二枚配布され、60分で解答するわけですが、到達目標としては三分の二以上書くこと、というふうに私たちは指示しました。私は個人的には直、今の学生にはかなりきついのではないか、と思っていました。ところがはじまってみると、みんなものすごい勢いで書き始めて、多くの人が少なくとも量的には目標をクリアしている感じになりました。読んでみないと、内容はわからないものの、この時間で二枚書くというのは、なかなかの腕力がいるし、質量転化ということもありますし、こういうのを続けているうちに、力業がきくようになるだろうな、と思いました。
 ちょっと読んでみた範囲では、社会学を勉強するお、という学生の答案と、そうでない学生の答案が、それほどちがうということはありませんですね。エッジの立った論旨を提示している人、論理的なトレースがしっかりできている人、ブロークンなデフォルメの効かせかたにどっしりとした基礎学力を感じる人など。ただまあ、こうやっていっしょに勉強し、さらに後半のゼミで専攻が混ざり合って刺激し合い、実力を錬成するというのは、こちらにとってもかなり楽しみなことであります。
 うちの大学はそれぞれのメジャーをしっかり学ぶことが基本になっていて、教養部から転任してきたときには、それはそれで新鮮だったし、やはり心棒は必要だと今でも思っている。と同時に、教養部時代は、いろんな学部の学生が相談に来たり、話し込んだりしたし、いろんな分野の先生方と飲んだくれたりしていた。それが機縁になって、いろんな情報や知識などを、ロハで得ることができたりして、また、他分野の考え方に触れることで、頭がリフレッシュされるような気分になることも多かった。それが、あまりなくなってしまった現状があるわけだが、国際社会論というリレー式の講義を持っただけで、専攻外の学生が話しに来たりして、たいしたアドバイスもできないのだが、話を聞いているうちにこちらの思考も錬成されてくる。
 社会学を学ぶ場所として、大きな社会学部のもつスケールメリットのようなものはないことはあるけれども、そのかわりに、経済学、政治学、法学、人類学、国際関係学、地域研究などなどに触れつつ、公共政策、国際開発、国際協力、人間共生などなどの理念に触れながら、比較的少人数で学べるので、学生としても面白いのではないかと思ったりもした。
 とにもかくにも、そういうちょっとアレな感慨にひたってしまったのは、まあさほどほめたばかりではないけれども、60分でガチに答案用紙二枚書いた人たちの熱気に触れたからである。