社会と文化の基層

 会合があり、遅刻しそうになって、でもメシ食わないとからだが持たないと思い、駅前で吉牛食べようか、それともマックにしようかと迷ったあげく、クオターパウンダーというのを食べてみたくなり、マックメシ摂取。で、会合に行ったら、まさかの弁当があって、それがしかも、な、なんと、浅草今半のウシ弁当。私はさめざめと泣き、はしませんでしたが、大ショックで爆(´・ω・`)ショボーンでした。
 土日は関東社会学会で、お茶の水女子大学へ。まさかのまさかだったのだが、やはりお茶大に行くのにも、湘南新宿ラインで池袋に出ルのが一番早いということがわかる。一時間弱でついてしまう。中堅クラスやD先生クラスの人たちが話していることが耳に入った。関東社会学会というのは、理論や歴史社会学なんかをやっている若手が多く集まっている学会という特色があるようなのだ。東北、関西、西日本などといろいろあるが、地区名がついているが、地区学会ではない。それぞれの学的特色が出ていて、好きなところに所属するみたいなことになるのは、よいことだなぁと思ったりもした。
 次のところに出た。報告者は、『思想』などで健筆をふるわれている人、情報コンテンツ系の学会で活躍中の人、NPOで街づくりなどに関わっている人、それとアカデミックキャリアのW大キャリアと、充実した顔ぶれが揃っている部会で、充実したひとときだった。司会はいささか心許ない椰子だったが、G大のA先生がフロントセンター、ライブで言えばモッシュな位置どりにいらっしゃり、矢継ぎ早に的確な質問が出て、他にも多くの質問が出たので、引き締まった部会になった。

第7部会:文化・社会意識 〔本館・1階 128室〕


日本文化論の不可能性ともう一つの日本文化論
林三博(東京大学


第3のプラットフォーム――同人ゲームシステムの問題点と可能性
七邊信重(東京工業大学


第三世代超高層における居住の論理
平井太郎(無所属)


非場所で発生する無関心に関する考察――ファストフード・レストランを事例に
本柳亨(早稲田大学

 ご報告は、いずれも文化や社会の基底を何らかのかたちで論じるという点で共通点があった。それぞれにフィールドや歴史的事実を踏まえながら、議論を展開している。他方でデーターを踏まえ、ギデンズ、ルーマンなどの理論を参照し、独特の視点を提起していた。対象への愛を語るだけの研究でもなく、適用される理論を模索するだけの研究でもなく、対象領域を踏まえて、調査を行い、そこから理論化できるものを抽出しようとする努力がなされており、さらにそれが一つの領域形成的な拡がりをみせていたことは刺激的だった。
 第四報告では、ファストフード店という非場所の関係性をあらわすものとして、「許され感」ということばが使われていて、コピーとしても立派なものだとか、ボーッと考えていたら、A先生はデータのなかから、「無害化」という焦点化への反省的能作をあらわす言葉を拾い上げ指摘されるなどしていた。                      第三報告ではフレクシビリティと関わることばとして、「バッファ」という表現が検討された。この報告は、私的には富裕層の関係性を精査しているところが興味深く、他の領域へのコミットメントなどが期待されるように思った。
 第二報告は、ギデンズやセネットなどをおそらくは踏まえながら、フレクシビリティを、それが故の「生きづらさ」なども視野に入れながら、詳細なインタビューに基づいて腑分けして説明していた。貴重なデータ提示だったと思う。
 第一報告は、唯一文化の基層に迫るご報告だったが、ラティスという視点を設定し、新しい歴史社会学的視点を提起している感じで、非常に刺激的なものがあった。
 浅野智彦先生編集の社会学テキストの基本視点としての文化と社会なども思い浮かべつつ、こうしたご研究が一つの文化社会学の流れをつくり出すといいな、と思ったのであった。