学会(笑)異聞

 眠気を覚ますくすりがあって、なににひっかけたか知らないけど、というかネーミングは偶然の一致かもしれないけど、けっこう効くらしく、まだ売っていて、一部で支持者がいるようです。「ピップから、『タウロポン』というカフェインドリンクが出ていますが、 マジ効きます。(一本250円)(はあと」 検索して読んでみて、鬼爆でしたが、成分はカフェインということで、鬼リーガルなものであることは、疑いございません。比布さんは、それなりにいたずら好きの会社ですから、パワーアップ製品をツヨポンとかゆってだしたら、鬼ヤバくね、みたいに思ってしまいました。まあありえないッスヨね。
 Tシャツなんぞも売れているみたいですが、やったことはやったこととして、草なぎ剛の会見は、多くの人たちの心に届いたようですね。しかし、あの声は芸術的な存在感があると思われ、もはや地デジと血肉化している感があり、そう簡単に代替不可能なだけに、これからのメディア戦略は、かなり注目されるところがございます。
 で、スイーツ(笑)なんですが、私は指導教員にかなり目をつけられていたことはたしかだと思います。ミルズについての報告をしたときに、トリックスター(笑)は山口昌男イデアール/レアールは廣松渉・・・などと、逐一とりあげて、嗤われましたから。うちの先生は、(笑)道をゼミで説いていたというような人で、ゼミは(笑)に満ちていました。カルチュラルスタディーズにいち早く注目し、メディア研究として日本に紹介するという仕事をかなり初期にされていて、イギリス在外研究の話をさかんにされていたんですが、そのときしつこくしつこくアルセチュール、アルセチュールと言っていて、なにかと思ったんですが、よく考えてみると、カルチュラルスタディーズ(笑)な自分への含羞であり、まあ一種の中原昌也してみますた(笑)的な破調もあったんじゃないかと思われます。
 廣松(笑)は、誤解で良知力の『初期マルクス試論』の構想力論などを参照しながら私は議論を展開していたのですが、「相対性理論の哲学」をめぐる当時の哲学的イデオロギー対立(と言うか、一方的敵視)は在学大学ではかなり深刻な問題で、ちょっと漢字の多い文体を使っただけで、粛清、みたいな勢いはあったように思います。(笑)な連中は、他大の大学院に進学したり、就職したりということで、自分の大学に入院する人はまれで、いても隠れなんちゃらになるしかなかった。で、よくわからんのですが、見田宗介は認められていたのですが、廣松は文献からも抜かないとまずいという雰囲気が一部ではありました。
 当時学内のピアレビュー(笑)雑誌に投稿した私は、たいした思想性のあったわけでもないのに、中原昌也的衝動(笑)に駆られ、講談社文庫の『類語辞典』を駆使して、鬼唐文脈の論文を仕上げ、投稿したら、オトされて、編集委員会に怒鳴り込むことになったわけですが、恩師は「文体はわかるよ」と言っていて、怖いものがありました。もっとも、いまだに匿名の査読者の一人(たぶん今同僚のY先生だと確信していますが)は、「紋切り型の横溢はいただけない」と、手短に、そして生真面目に(笑)をつけられて、敬意を覚えました。この一喝は、おそらく一番正しい対応だっただろうな、と今でも思います。怒鳴り込んだ相手の先生は、文体ではなく、マンハイムウェーバーに触れていないミルズ論はありえない、と言われ、そこのところを一時間くらい議論して、再投稿したら掲載されるという体験をしました。
 私のいた大学は、ともかく思想用語、批評用語を使った論文は、(笑)の対象にすらならなかったほど、たとえば『エレノア・マルクス伝』のような史料実証主義が尊敬される大学で、まあそのわりには思い切ったことを言う先生たちもいましたが、基本的な正義は明解だったと思います。今でも思い出すのは、社会学部の教授会で浅田彰が話題に出たときに知っていたのが、話題にしたカトテツともう一人うちの先生だけだったという話です。社会科学研究会と私がいた環境問題研究会で、講演会とかやったのに、まったくアンテナにひっかかっていなかったことになります。
 思い出話はともかく、本当に書きたかったのは、学会などでよく使われる、(議論の)「接着剤(笑)」、・・・を「下敷きにして(笑)」みたいな比喩表現ですが、怖いのでやめます。高橋源一郎じゃないけど、最近の若い人はそういう比喩への自意識がなくサクッと使っちゃっている。だから、一時期母校でやっていた社会学史のコメントペーパーに「古典をおさえてないと(笑)うちの大学では通用しない」とかいうふうに書いてあっても、だよねぇ〜、としか思わないのでした。