早朝の電車のなかで

 最近はけっこう早く大学に来るようになった。中学、高校時代は無遅刻無欠席で、朝暗いうちから登校し、ひとしきり勉強してから始業時間を向かえるという毎日であったこともあり、まあ元に戻ったというだけかもしれない。今はとりあえずケツカッチン状況ではないが、原稿を書き始めても、この方が能率がよいと思う。朝の食事は味噌汁程度に軽くして、昼と夜に食事をとるだけで2キロくらい体重が減った。往復2時間ちょっとの通勤だが、語学の勉強にはちょうどよい。電車も、少し早く出れば、たいしたラッシュにはならない。つまりは快適だ。
 新宿からは下り電車で、大学の授業が始まるともう少し混み合うのかもしれないが、今はとても快適だ。風の強い日は、富士山が左手に見え、まっすぐに進む中央線の景色は、非常にさわやかなものがある。西荻をすぎるあたりで、右手に大学の森が見える。樹木から、チャペルがちらっと見えると、ちょっとうれしい気持ちになる。ちょっと前までは、新校舎の工事のクレーンが見えたのだが、幕もとられ、新校舎が見えることに今日気づいた。なかなかよい佇まいである。
 しかもよく見える。で、思いついたことがある。これは実際のプランとしてあったらば、かなりまずいのかもしれないが、というか検討が始まっていて、なんかまずければこの部分は削除することはやぶさかではないが、思いついたのは悪い冗談で、屋上にでっかいロゴで東京女子大学とか、TWCUとか、トンジョとか、看板出したら、すごい存在感だろうということだ。学長のドアップの写真が添えられたりしていたら、目立つこと間違いがない。しかし、そういう宣伝は、教職員や学生や卒業生の少なからぬ方たちは、好ましくないと思われるだろうし、私のようなアバウトな人間でも、どうかなぁ、と二の足を踏んでしまう。もしかすると近隣住民の方たちも、まことちゃんハウスのようなことになるかもしれないし。
 でも、ものすごく目立つだろう。目障りなときは可動式でギギギギギと一定時間起きるようにするとか、夜はネオンサインとか、くだらないギャグが頭をかすめるものの、さすがにそれは大学にとってプラスにはならないと思う。大学にふさわしいオブジェがみえて、「あれはなんだ!!」というようなことをするのも、PRの常道だとは思うが、そんなことをするくらいなら、あの森はなんなんだ?という問いかけで十分かもしれない。
 こういう考え方は、古いのかもしれないが、大学人というのは基本的には、コマーシャリズムが嫌いだと思う。商業大学の出身の私でも、そう思うのだから、人文学や理学などの伝統的学芸を修められた人々は、言うに及ばないだろう。昔岡山の私立大学が岡の上にどでかい看板を立てて、新幹線から見えるようにした時に、私の所属していた麓の国立大学で、議論がなされたことを思い出す。まあその大学は理系の大学で、産業とも直結していたし、それはそれで学びの精神と看板がマッチしていたので、見識あると、私は思っていたのだが。
 大学の景観については、いろいろな意見があると思うが、これまで培ってきた知の伝統を具現したものであるべきだという識見においては、すべての人が一致していると思う。うちの大学は一人一人の学生を尊重する大学であるし、入学してからそれぞれに力をつけて、卒業していく人の数が多いと思う。進路変更をして、他の大学に編入するというような場合も、教員は懇切丁寧に相談にのっているし、助力もしている。経済的な事情で、学業を続けられなくなった場合も、緊急の奨学金を出したりすることもある。そういう学びの場の具現したものとして、キャンパスがあることをみんな願っていることだけは、一致しているンじゃないかと思う。底なしの不況の中で、学びたくてもやめなくてはならない人間が出ないことを祈りたいし、そのために最大限の努力が払われるべきだと考えている。