達人

 今日は引越でした。ハート引越センターは、アート引越センターのバッタモンくらいに思っておりましたら、とんでもなくプロなお仕事ぶりでした。引越がらみのサービスもいろいろ行き届いていて、円滑に仕事が済みました。六万円ちょいの仕事なのに、トラックが二台でした。人員は4人。ガテン系の兄さんたちが来ると聞いていましたが、大人しそうな青年3人(そのへんのあんちゃんみたいなの)とチーフ、一人は女性でした。この女性(ジャガーみたいのじゃなく、そのへんのねーちゃんみたいなの)も含めて、本のダンボール二つ持ちというので、すごいと思いました。
 昨日まで必死こいて荷造りをしました。まあやってみれば、そこそこできるもんだなと思います。言えることは、掃除は下手な散歩よりも、運動になるということでしょうか。あと、いろいろな商品を知ることができて、けっこう面白くなってきました。と同時に、うちのばあさんはバケツ一つとぞうきんとほうきはたきのみで掃除をしていたということです。家電品も「中性洗剤」の類も「おまけ」に過ぎなかったのかもしれない。生活のいたるところに「名人芸」のあった時代である。
 すでに書いたことだが、過日も学部時代のゼミの先輩が亡くなった。引越で文箱を整理していたら、その先輩からの礼状が発見された。拙著『サブカルチャー社会学』を謹呈した際にいただいたもので、いろいろ内容を読んで要約してくださったあとに、この本に書かれているのは「どれも達人たちの調査である」、と結ばれている。いわゆる「むだな泥仕合はしないスッキリ系の人」だとばかり思っていたのだが、むしろ逆の印象、つまりはぐだぐだしたベタ足っぽい筆致からはじまったとしても、とんでもないところから重量級のパンチが飛び出すみたいな風格、というか「届いた」という手応えを再確認した次第である。達人だからダメというわけではない、しかし・・・。ここまで言われたら、話の一つもしにくべきだったのかもしれないのだが、まあグループのまとめ役が不在だと、なかなかそんなこともできなくなってしまうものである。また集まろうなどと言いつつ、「次にあうのは誰かの葬儀・・・」などと軽口をたたいていた。それが、本当になってしまった。
 新聞に記事が載っていたので、引用しておく。

スピノザ研究・東京大教授の柴田寿子さん死去

2009年2月5日12時22分
 柴田寿子さん(しばた・としこ=東京大学大学院教授・社会思想史)が4日、肉腫で死去、53歳。通夜は5日午後6時、葬儀は6日午前10時半から東京都目黒区碑文谷4の21の10の碑文谷会館で。喪主は夫紀彦さん。


 スピノザ研究の第一人者。著書に「スピノザの政治思想―デモクラシーのもうひとつの可能性」などがある。
http://www.asahi.com/obituaries/update/0205/TKY200902050118.html

山羊大T先生のミクシエントリより引用

 ご自身の研究者への道程をも語られた「古典をめぐる思想史学の冒険」田中浩編『思想学の現在と未来』(未来社、2009年1月30日刊行)が、生前刊行の最後の作品となったと思われます。
 ・・・本の中でも、学部時代は「マルクス主義経済学やドイツ哲学」を勉強していて、「大学での幼稚な『政治』体験」が「思想」にはまり込むきっかけだったと書かれています。「かなりの精神的危機」を解決するべく、「思想」を探し求めて、大学院では政治思想史を専攻した、と。

 卒業してからは自死した友人のご葬儀の時と、あとは後輩の結婚式でお会いしたくらいで、あまり実感はわきませんが、たまたま引越で発見した礼状を読んでいて、備忘的にもここに書いておきたいと持った次第です。就職が決まったときに電話で話して、「そりゃまた、面倒くさいところに決まったモンですね」と申し上げたら、「そうなのよね。そういってくれる人は少ないんだけど」などと馬鹿話をしていたわけですが、格式の高いポストだけにいろいろ大変なこともあったかと思います。しかし、ミクシ日記には、学生さんとおぼしき一人が、沈痛なコメントを寄せられていました。またお通夜には、多くの受講者とおぼしき人たちがみえていました。短いなりに充実した人生だったんだろうなぁと、拝察した次第です。しかし、もう少し生きて、少なくともあと一冊くらいはなにかをまとめたかったはずだと思います。ご冥福をお祈りします。