イナシャですか?

 本日は教え子の結婚式に出てきました。明治記念館というのは、30年ほど前に寮の友人の挙式に出て以来です。あのときは金箔の入ったコンソメを食べたのが、強い印象に残っていましたが、はたして本日も出ました。他は魚料理が伊勢エビ、肉料理が牛のフォアグラのせステーキ。料理もど真ん中という感じで、特にひねったものではありませんが、歳月を積み重ねた味わいがあり、式場の格調とマッチした落ち着いたお式でした。なんというか、利いた風なことを言えば、ラックスのアンプで音を絞って良質の音楽を聴くみたいなかんじというか。
 新婦は、女子大での最初のゼミ生です。まああのころは、かなり学校に慣れるのに苦労していたわけですが、この人たちのおかげもあり、女子大になじんでいったということがあります。入場行進曲は、定番ではなく、篤姫のテーマだったので、スピーチをしたときに、それを拾って女子大を大奥に喩えれば、新婦たちは私の教育係、しかも幾島、瀧山みたいな、おっかない、しかしビシッとスジの通った人たちだった・・・みたいに言いました。いや、お世辞抜きに、本当にそんなカンジでした。
 楽しい時間をすごして帰りしなに、出席者の1人から「岡山にいらっしゃったことはないですか?」と聞かれました。「はい!11年いました」というと、「やっぱイナシャだ!わははははは、私工学部の出身で、イナシャとってたっすよ。単位もらったッスヨ」みたいに言い出して、驚きました。それなりの貫禄の人だったからです。まあ、今年の年賀状をみますと、岡山の中期の教え子が「40になりました」などと書いてありましたし、最初の教え子のなかには50歳になったのもいますから、あたりまえですが。
 まあ、こんなことはあっても不思議ではないわけですが、話しかけていただいたことは、すごくうれしいものがありました。イナシャというのは、伊奈社会学の省略形です。当時の岡山大学教養部では、名字プラス科目名でその科目を呼ぶ習わしがありました。谷先生の政治学は谷政治→タニセイ、石原先生の地理学は石原地理→イシチリなどなど。語呂のいいものだけが、省略されていました。
 イナシャは、楽勝で、あまりためになる授業ではなかったと思います。ギャグやネタ、キャラ勝負といったカンジで、さほど学問的には学生たちに認められていなかったと思います。ただ、単位はまじめに出席して提出物を出せば確実にでるということで、専門学部によってはほぼ全員が受講というところもありました。一つだけ自慢できるのはレポート提出者で希望した者には、全員にコメントをつけて返却していたことです。最低でも十行くらいは書いていて、多いときは別紙をつけて返したこともあります。
 これは女子大に移ってからも、何年かは続けましたが、あることをきっかけにやめてしまいました。それは、単位をまったくとらずに退学した学生が、私の単位だけとれていて、そのレポートは返却していて、証拠がなく、単位の認定で非常に苦労したことがあったからです。今では、答案やレポートはどこの大学でも一定期間保存は必須になっています。だから、コメントは無理になっています。もちろんメールや、コメントだけ返すという手もありますし、ワードで送ってもらいコメント機能でコメントする方法もありますが、なかなか面倒なものがあります。
 これから引っ越しや入試や卒論審査などいろいろなことが続きますが、結婚式に出たことで、少しだけ元気をいただいた気がします。どうもありがとうございました。