教室の怪談

 月曜から授業がはじまっていて、火曜日はゼミの日である。1年前は引き締まったゼミだったのに、1年たったらくりぃむナントカみたいなぐだぐだ系なものになってしまった。新ゼミの志望者もこのぐだぐだ感というのは、それなりに自覚して、教師にカツを入れてビシッとやらせるか、あるいはグダグダを楽しむか、どちらかの手腕がないと、すごく消化不良になるんじゃないかと思う。というか、1〜2名をのぞいたら、すべてが一年次にゼミを担当した学生たちがゼミを志望してきたのが笑えた。
 そのグダグダの3年ゼミで、去年ゼミで提案されたはとバスツアーでもしてみたい?と言ったら、多くの人の賛同を得た。なかなか実現は難しいだろうが、文化社会学的にもなかなか面白い企画だとは思う。学生たちに、おみそれしました、と脱帽したのは、けっして赤坂六本木おされレストランバイキングの旅なんかがいいとはいわなかったこと。まずどこに行きたいかと言ったら、異口同音にイチオシとなったのが、な、なんと上野の西郷像。そこで写真をとるんだって。あと二重橋と、東京タワーと。ベタな東京ツアーコースとかないのかね。
 京都のほうの大学で、アカハラで停職処分があったという。概要は下記のカンジなのだが、「研究にむいていない」などとも言われたらしい。おそらく熱心すぎた結果なのだと思うが、どんなに熱心でも人格的否定をされたと言われたら、それはこういうことになるのは今どきの掟なのだろうとは、思う。

 同大学によると、教授は昨年7月〜今年4月、20代の男子院生を少なくとも12回研究室に呼び出し、3〜8時間にわたり、実験のやり方などを指導。その際に「バカ」「ボケ」などと暴言を繰り返したり、「友人はいるのか」といった趣旨の言葉を投げかけて学生を精神的に追いつめ、研究意欲を失わせたという。
http://www42.atwiki.jp/ikannoi/pages/37.html

 だからボクらはガイドラインに沿って、慎重にことばを選んで指導を行わなくてはならない。本当は、どんなことばを使うかというより、精神的に追い詰めないというのがポイントだろう。しかし、なにもしなくても自分で追い詰めて、ヘルプミーな人もいるのだが、それも人格的な問題だろう。今どきの不文律は、人格的なことがらには一切立ち入らないということだろう。よって、勉強以外の個人的な相談、心理的な相談、進路相談などは一切拒否することがほぼルール化されている。研究室のドアは開けて相談する。あるいは談話室で相談する。そこでできないような話は一切拒否してよい。そんなカンジだろうか。
 そんなことより、自衛のためということなら、相談は一部始終を録画+録音するようなシステムをつくってくれたら正直ありがたい。基本的に私は、相談ごとは録音している。ICレコーダーは長時間録音できるので便利だ。なにか懸念がある場合は保存する。電話も同様だし、メイルも同様だ。感情的になってしまった場合などは、反省材料にもなる。
 まあしかしそんなことは学部しかもっていないから言えるのかもしれない。大学院ともなると、指導がより切実なものとなる。特にアカポスが絡んだ場合などは、一層そういうことが言えるだろう。
 教室にあるような窓を、研究室につけるという意見もある。実際に硝子ばりにしているところもあるらしい。急にスーツに着替えるという場合はどうしているのだろうと思う。まあのぞき窓くらいならいいんじゃないかと思う。今日までそう思っていた。しかし、今日授業が一足早く終わったゼミの学生が、うちのゼミの友だちをのぞき窓からのぞいていた。視線を感じてみたら、鬼のように怖くて、トリハダだった。

 つーか、眼がホラーじゃんみたいなことで、写真を撮ってみたが、これはのぞく方も笑っているので、眼が怖くなっていない。実際は、リングの貞子も呪怨のかやちゃんもぶっとびなくらい怖いものがあった。研究室で夜遅くまで研究していて、こういうのがのぞいていたら、馬路フリーズだと思う。まあ最近の学生にそこまでたちの悪いのはいないから大丈夫だと思うが、10年前なら、寮生が代わりばんこに脅かしに来たような気がしてならない。