仙台から深夜に帰京。帰路弁当を食べた。はらこ弁当は売り切れで、しかたなくウニメシ。どうしても食べたくなって笹カマをあわてて買って大失敗。5枚入りで、1500円って、高いけど美味いだろうし、分量的にもごまいなら大丈夫と思ったら、めっちゃえくすとらばがんとひゅーじモンスター笹カマ。腐るのでお早めにということで、みんな食ったら、気持ち悪くなりました。
学会二日目は、若者の政治性か学説史かどちらか迷ったが、アメリカの学説史とカルスタがあるみたいなので、こちらにすることにした。二日目午前学説史などというと、もうほとんどシャッター商店街なかんじだったこともあり、私が京都で報告したときは、まあ京都という土地柄?もあったのかもしれないが、ちがうか?w、出席者は報告者以外は数人もおらず、おまけに京都駅に降りてから帰路に着くまで挨拶する人もおらず、鬼トホホだったことを思いだしたりしたが、この部会はかなりの混雑ぶりで、羨望を禁じ得なかった。
部会は名前の通りだが、歴史のなかの学説、ということで高城和義流みたいなことではあるが、全体としてひとつの筋道が立っていたように思う。それをつけたのは、コーキタンたちで、『ブリッジブック社会学』という著作の顔見世興行みたいであったわけだが、それにより、某ウェブ日記の言葉をお借りすれば、「社会学という学問の骨組み・基本姿勢を示すのに、マルクス(主義)との対抗軸を中心に据える、という企画」がこの部会にも憑依した感じで、部会自体もその国別比較みたいになって、面白かった。
私の関心は主として3と4だったのだが、ポストマルクス主義の方向性としての二つの道筋といった司会者の整理により、よりくっきり主題が見えた感じがした。フロアから、グールドナーの名前があがり、しゅ~矢澤の言う「マルクス主義のマルクス主義」ということばを再び思い出す。その辺に、マンハイムやニスベットを重ねると、第三報告の主旨はより明確化されたはずなのだが、ニスベットはちょこっと名前が出たが、コンテクスチュアルにすら論及が深められず、マンハイムはまったく言及がなかったことは、時間の制約の制約のためでもあろうが、フロアのメンツを見渡すにつけ、若干残念であった。もちろん発言しなかった者にも責任はある。ただ、メンツを見渡すとさすがに気後れしたし、時間が足りずにこれ以上質問したら、15分から下手すると30分オーバーというようなところで質問する気にはなれなかった。ホロヴィッツやミルズも、「新保守主義」という括りで考察するムキもあるわけだし、まあアテクシもその一人かもしれないけども、それはともかく、ニスベットは妙にミルズを高く評価しているし、その辺で「公衆であること」の意味みたいなのが考えられればよかったとは思う。しかし、フロアから「公共社会学」という訳語はいかがなものか、という提起がなされ、「公衆社会学」という代替案が示されるなど、まあまあの展開があって、時間がないなりにキチッとまとまっていたような気もする。しかし、昔の人はよくしゃべるなぁと、つくづく思った。
シンポジウムはやっぱりこちらへ出た。昼飯をまたもや街まで食べに出たので、若干遅刻したが、席をとっておいたので、まったく心配なかった。フロアは立ち見がたくさん出るほどの大盛況であった。フロアには元祖俗流若者論批判のジモピー後藤「おめーに若者を語る資格はねぇ!たたき斬ってやる」和智さんも降臨ということで、部会としてはそれだけでも大成功だったのではないか。
小谷さんは、今どきの若者言説をめぐる事情について、「官製若者論」といった小谷さんらしいタームワークを駆使して、熱っぽく語られた。学生時代「青年の主張全国大会」と呼ばれた語り口、って言っていたのはオレたちだけかもしれないけど、まあともかくシャウトは健在で、それなりの芸は魅せた感じ。小谷さんの地方政治を語る部分については、私と真っ向から対立する部分もあり、それが小谷編の本に原稿を書いたときにも厳しい議論にもなったのだが、その辺の学識は、この分野では実は他の追随を許さないものがあることはたしかで、おお!と思う部分もあった。
一定の「イデオロギーの終焉」的な気分のなかで、市民性をもちえたものはなにか?という問いかけのなかで、いくつかのクビ長への論及がなされたことは、それなりに刺激的だった。私は、たぶん市民性については立場を異なるものにしている。それは、中野卓の『口述の生活史』などの影響もあるし、保守主義的なヴァナキュラーなものへの評価の違いもあると思う。さらには、景気のいい時代に「革新」が福祉の名前のもとに、いろいろな施策をして、それが今やり玉にあがっていることについて、いい顔をさせてもらって責任を押しつけられたという面もあると思うし、誰かが革新自治体という問題へのオトシマエをそろそろつけるべき時期に来ているような気もするのだ。だから「怠ける権利」みたいな議論については、もう少し議論が深められるべきだったとは思うが、部会の主旨飲もう一方に、世界標準の研究志向というようなこともあったと思うし、その辺はいくつかの質問によってあとから追補的に熱弁をふるわれたことでおつりが来るとは思う。
第二報告は、ネット調査の結果などを踏まえて、若者言説というものが実は50代のおやぢの自己投射にすぎねぇんぢゃねえの?みたいな議論に落とし込まれていて、鮮やかな一本!というカンジ。80年代前半の努力と根性の時代の「好きなことば調査」で、50代は「ありがとう」が好きだったことは、恩師佐藤毅も書いているんだが、大企業の中間管理職にとって、このあたりの年代はそれなりの意味を持つだろう。重役になれるか慣れないか。出向するのか、完全退社かみたいな分かれ目がこの年代であるし、それなりの立場のある人々の言説が、それなりに影響していると言うことは、それなりに考えられるような気もするし、それをデーターで示したのはガツンと来るものがあった。同窓会の集まりみたいので、「今日は出られない」といっていた人がいて、それは今日から「新しい職場」に転勤ということで、歓迎会でもあるだろうということだったのだが、その人が同窓会に来られて「テヘ」と笑っていたのを思いだした。
第三報告は、題名の通りの報告で、ものすごい量のデータを端折らずに駆使して、速射砲のように語り続け、しかし、けっして睡魔が襲ってくるようなことはないという、恐るべき芸を魅せていた。しかも、サビの部分で、大学改革について偉いさんに意見を言う機会があって、そのときにこんなに企業が大学バカにしてたら、大学の改革のしようがねぇYOみたいなこと言ったら、意見が通った、とドスのきいたシャウトをしていたのは、おお!!と思った。
討論者は、コンパクトにコメントし、3つの報告者に足りないところをより詳しくしゃべるように配慮している感じで、なかなかできないことだと感銘を受けた。アテクシも報告したかったよぉ~とばかりにしゃべりまくる人もいるわけで、まあそれでセメントファイトして逝く道逝ってしまうのは、私的には面白いとは思うのだが、たとえば高橋徹先生が正村父と大激論しておわんなくなっちゃったときみたいなのはまたみてみたいとは思うが、そうでもないときがあるからね。佐藤郁哉さんが、最後に質的聞き取りについて質問していたのは、当然といえば当然だが、意外に盲点だったなぁと、感心した。
みなさんお疲れ様でした。高いお金をかけて、仙台までいったわけですが、すごく得をした気持ちです。