本日土曜日ながら公務で出勤した。同じ委員会で仕事をしている油井大三郎先生にお会いしたので、『好戦の共和国アメリカ―戦争の記憶をたどる 』(岩波新書 新赤版 1148)をいただいたお礼を申し上げた。そのおり、本田先生の後任として赴任されたの傷害致死事件に遭遇して亡くなった辻内鏡人先生で、油井先生は新しく新設された現代社会の講座に赴任されたとご指摘いただいた。本田先生と油井先生は、一時期いっしょの職場に勤められていたとのことである。なるほど辻内先生は、『アメリカ黒人の歴史』をより直接的に受け継ぐ人であるだろう。
私たち学生のなかでは本田先生の学問を受け継ぐ人と考えられていたので、以前のエントリーのような表現になった。そうした私の記憶は、それはそれで間違っていないと思う。というより、そうした記憶自体が、私にとり大事なことである。歴史への<眼>、アメリカ社会への<眼>というものについて、あらためていろいろ考えた。
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母校の社会学部は、ヨーロッパの社会科学をより重視する傾向にあった。いろいろな、時には不毛な、対抗意識もあったのだと思うのだが、理論も調査も否定的な空気が立ちこめていたように思う。「アメリカ社会学」というのは、批判の対象であり、「読む必要もない」とすら言われていたところがある。プラグマティズムの技術論=帝国主義の哲学というようなカンジもあった。そんな大学において、アメリカ研究はアメリカ社会批判として、アメリカ社会学批判はアメリカ社会学批判としてのみ成立するものでしかないのではないか、という窮屈な気持ちをもっていた。
共著者と出したミルズ論について本を昨年出した折、「ミルズ以外はあまりアメリカの社会学文献を読む気にはならない」という主旨のお手紙を下さった先生がいて、またそのことを思いだした。たしかにアメリカの学会誌をみていると、かつてとはまったく異なる論考がならんでいるような気がして、それは社会学が学問的に洗練されてきた結果だと自分に言い聞かせつつも、他方で正直読む気が失せることがあることは認めなくてはならない。そうした気持ちと、上記の「窮屈な気持ち」を照らし合わせる作業を延々と続けてきたのが自分の歩みだったと極言することも不可能ではない。
辻内先生の赴任により、母校の社会学部で、一定の識見を持って「アメリカ」と関わる講座が拡充されたことは、アメリカ社会学思想史をどうやって考えていったらよいかを模索していた人間には、アメリカ社会について考える<眼>のあり方を問題提起されているようにも感じられた。アメリカというのは、ルーズベルトのアメリカ、マッカーシーのアメリカ、ゴールドウォーターのアメリカ、レーガンのアメリカ、ブッシュのアメリカばかりではない。黒人のアメリカ、原住民のアメリカ、公民権運動のアメリカ、反戦運動のアメリカ、ボランタリズムのアメリカなどもある。
油井先生たちから教わったいろいろな論考を読みながらいろいろ思索を行ったことは記憶に新しい。ミルズのアメリカだけではなく、ヴェブレンのアメリカ、リンドのアメリカ、コルコのアメリカ、ホフスタッターのアメリカ、ラッシュのアメリカ、ジンのアメリカといったものがあることを徐々に学びながら、ミルズ研究を構想した。
そこからサブカルチャー研究に向かったことはゆえなきことではないと、あらためて思われた。鮮烈に記憶に残っているのは、学部時代に社会調査第二という実習講義で大学生の意識調査を行ったときのことである。受講者の一人が、マリナリティの問題に深くっかかわっていた学内ジャーナリズムと関係のある人で、留年者や退学者や休学者から学生をみてゆくべきであるという議論を鋭く問題提起していた。私は、当時からどっちつかずであったので、そこに限定することに疑問を呈した。いろいろ議論したことが、無意識のうちにいろいろな争点を植え付けてくれたように思えてならない。なんか授業に出ずに遊んでばかりいたように学生時代を思い出すばかりなのだが、こう考えてみるとかなり勉強したのかもしれないと思われてくる。まっしぐらにアメリカ留学に向かえなかったことには、後悔は残っているが、それは甘んじて納得すべきことかなぁと、最近思わないことはない。というようなことを言ったら、まだ遅くないと、ある後輩に怒られた。