「卒業」Part2

 アテクシたちの世代で、『卒業』って言えば、世代的映画と言ってもいいんじゃないかと思う。なにかあるたびに映画『卒業』を見直し、S&Gのサントラ版を聴き直すというのもいたし、「卒業する」ということばが恋愛や結婚のエピソードとともに語られることも少なくなかった。親から会わせてもらえない恋人を、野口五郎の「私鉄沿線」ばりに、始発から改札口でずっとずっと待って「卒業」した人もいた。「さいなら」とゆわれて徹夜で自動車を日本列島ぶっ飛ばしてきて「卒業」した人もいた。披露宴の当日式が始まったら「卒業」されていた人もいた。そんなドラマチックじゃなくても、それぞれの「卒業」を語る人もいる。「あっそぅ」とかなんともにんともKYな相づちで青春まっただ中のおぢさんおばさんもけっこういる。私は、心身の状態がまだ留学を意欲していた頃、UCハークレーのシーンをくりかえしみて、スカボロフェアーを何度も聴いた。
 その「卒業」の後日談を描いた続編小説『「卒業」Part2』が白夜書房から刊行される、っていうニュースが、産経新聞に書いてあったのでぶっ飛んだ。さっそくネットで調べたら、本の情報も出ているし、ネットニュースも出ていた。しかし、白夜書房ってさ、あの白夜書房ダベ。w
 まあ、Part2も悪くはないよね。もしかしてパート2はともかくとして、「時をかける少女」、「海が聞こえる」、あと「ダーティハリー」。まあだけど、「海が聞こえる」は残念ながらアニメ化はされていない。ただ、実写はともかく、小説はけっこういいんじゃないかと思う。「時をかける少女」のほうは、パート2もいいアニメであることはたしかだが、尾道とも前作のストーリーとも切りはなされて独自のストーリーになっている。どちらの作品も地方都市の青少年文化について考えてきた人間には、とても残念なことだと言えば、言えないことはない。
 しかし、『卒業』となると、影響力が段違い平行棒だろう。結婚式場でベンジャミンがエレーーーーンとシャウトして仁王立ちになり、2人でトンヅラこいてバスに乗り、ベンジャミンが笑い、エレーンがポカーン、でもって、愉快そうに尻を振りながらバスが去ってゆく。今だったら、もうクールポコじゃないが、「なぁ~にぃやっちまったなぁ」状況。つぅか、昔の「ウィークエンダー」みたいな番組つくって、「今週のやっちまったなぁ」というミニコーナーつくるとか、いっそ冠で「クールポコのやっちまったなぁ」とかやって、かけ声で魅せて、あとはゲストやなんかにフルボッコになるみたいなのをみてみたくないことはない。師匠が、存外司会が上手かったらメッチャ興ざめだけど。wそれはともかく卒業パート2。ニュースを一部引用しておく。

「卒業」Part2

「卒業」Part2

 「卒業」は、米国生まれで英国在住の作家、チャールズ・ウェッブ氏が1963年に発表。67年にマイク・ニコルズ監督によって映画化され、世界的なヒット作となった。
 まずは旧作のおさらいから。大学の陸上部で活躍したベンジャミンは卒業を機に帰郷するが、目標を失い、憂鬱な日々を送る。そんななかで幼なじみエレインの母、ロビンソン夫人と不倫関係に。その後エレインとつきあうことになるが、母親との不倫関係を知ったエレインはほかの男性との結婚を決める。結婚式当日、ベンジャミンはエレインを奪って逃げる。
 映画の結末では、バスの後部座席にベンジャミンと花嫁姿のエレインが座っている。笑顔のベンジャミンに対し、エレインは深刻な表情。そのシーンから、「二人の将来はバラ色なのか」といった論争が巻き起こった。
 続編の原題は「HOME SCHOOL(ホームスクール)」。著作権問題などが解決し、英国では昨年秋に発表されて話題となった。日本語版の翻訳は羽田詩津子さんが担当した。


 物語は、花嫁奪取の11年後から始まる。1970年代という設定だ。ベンジャミンとエレインは、2人の子供を学校に通わせず、家で学習させるホームスクールを実践している。教育委員会との間に問題を抱え、ベンジャミンはある“計画”を思いつく。家庭はロビンソン夫人らを巻き込んで混乱状態に陥り…。
 家庭や教育の問題に焦点をあて、ヒッピームーブメントなど、当時の米国の風景が浮かび上がる。担当編集者の榎本統太さんは「続編では、ベンジャミンとエレイン、ロビンソン夫人が相互依存関係から脱却する。親離れ、自立といった普遍的なテーマがあり、そういった状況からの“卒業”が描かれている」と解説する。
http://sankei.jp.msn.com/culture/books/080914/bks0809140847002-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/culture/books/080914/bks0809140847002-n2.htm

 さすが白夜書房というべきか、非常にあけすけで、なんともゆるいコメントが載っている。「続編を読んで、がっかりしたり、余計なお世話と思ったりする人も、そうなったのかと感じる人もいるでしょう。いろいろな読み方ができる。『二人のその後は?』という疑問に答える作品にはなっている」。というか、一応団塊の人たちは買うなら買ってみたら、みたいなカンジ。営業担当の藤脇邦夫さんGJだと思うけど、売るだけなら、もう炸裂コピー歌舞伎まくらせて、カチンコチンに羊頭狗肉作戦もできたはずなんだけどね。いやなんか、これみると規範としての文化云々という学問的な論点とは別に、「若者文化の融解」という提起されている問題について、これはたしかに融解だよなぁ、とリアルに感じてしまう。もう、「いちご白書をもう一度」すらしらけてしまって、渇ききったカンジ。でも、ヤキがまわるみたいなことが洞察されているとか、なんらかの作品性が峻立しているかも知れないし、買ってみたくないことはないなぁ。