さんまとしのぶ@27時間TV

 ドラマ改編になったので、久しぶりに『週刊文春』のドラマ評論を読む。山本高広を引きあいに出して、織田裕二を茶化しまくっている。私は、東京ラブストーリーをリアルでみた世代なわけだが、その前に湘爆で、江口洋介とものすげぇ頭髪ファッションをキメまくっていたゆーじちゃんを知っているし、世界陸上は欠かさずチェキしてきたわけだが、今井舞は、その「美味しさ」はみんな気づいていたにしてもバラエティに出ないからツッコミようがなかったのに、山本が出てきたモンだから、みんな「味わってみたらあまりの美味しさ」にみんなビックリという論調になっている。しかし、新ドラマにおける「あのもろこしヘッドみたいなショボい頭からは、モノマネ憎しの鬼の一念がヒシヒシと伝わってくる」という底意地の悪さは、痛快なまでに凄まじい。
 今度の月9は異様なまでにベタな展開で、それを大物にガチでやってしまっている、ゆーじちゃんは、役者バカ藤岡寛、バカ役者タコ八郎の前者正統を気どっているけど、どうかしら、みたいな言い方になっている。CHANGEがマシに見えてくるとか、もう舌鋒全開で、最後は「ユーズィと呼んでくれ」ネタでしめている。
 しかし、まあ、教科書の厚さがここ数十年で何分の一かになり、テレビというのも、世界でまれにみるようなバカ番組を世界でまれにみるような高学歴視聴者が面白がってみていた80年代と今では、商品としてのドラマの作り方も違ってきているのかも知れないとは思う。自己満足的なドラマやバラエティをつくっているだけじゃ、先細りは目に見えている。だったらベタにいこうぜみたいな。でも、そうは言いつつも、若い世代はそんなに視聴者として美味しいのかな、と思わないことはない。
 そういう意味では、フジポニー三宅総指揮のもとに今やっているフジテレビの27時間テレビは、さんまちゃんのデスマッチトークで、私たちが「あの頃」を思い出しながらみることができるし、とても楽しい。仕事が進まないで困りものだ。
 実はあまりみるつもりはなかったのだが、ちょっと見始めたら、やめられない。ヘキサゴンも、生放送だしいいじゃねぇかとばかりに長々とさんまちゃんがひっぱったジミー大西の凶暴なまでのバカっぷりは突き抜けちゃっていて、底が抜けちゃっていて、純化された言葉と動作のくりかえしは、横隔膜と禿げしく共鳴するものがあった。ヘキサゴンのレギュラーバカのほのぼのしたところは、蹴散らされてしまったんじゃないか。スザンヌの親が「バカでも明るく育てますた」みたいなことをどこかに書いていたけど、そんなもんじゃないだろうこれは。
 大竹しのぶ出演は、名台詞「ばかじゃないの」ファンはもちろんのこと、80年代にドラマや映画をみた者には垂涎の企画である。つるべとやってかえるのかと思ったら、中井くんのコーナーにも登場し、さんまちゃんのかぶりものをかぶった中井と、ベゼシーンの寸劇までやって見せた。かぶりものをとったら、中井が鼻血を出していたのだが、これはネタだよね。落ち着いていたし。中井も悪のり気味で、しのぶはピコピコハンマー片手に黒い家のような歌舞伎まくりで、おーもりあがりだった。うそだうそだといいつつも、「ここでいえばいいんだね。ばっかじゃないの」。とまあ、ばっかじゃないのは、一応言いましたみたいなことなんだろうか。さんまちゃんが、しのぶにひっかけて、「THAT WAS THAT」というTシャツを着ていたのだが、穂花とかでていると、どうしても一文字入れ替えろっつぅことじゃないよね、とか思えてしまう。