愛の鞭

 元そのまんま東知事が愛の鞭条例ありぢゃね、みたいなことをゆって、みのもんた絶賛するも、尾木尾木他教育関係者にシビアに批判されちゃったりしている。曰く「それはノスタルジアに過ぎない」。知事とアテクシは同年配で、まあ当時はぶん殴りありありで、でもって私のような悪ガキも若干マシになったという実感がないと言えばウソになる。おそらく同業者で若者論をやったことがある人で、こんなことを言う人はめったにいないと思う。
 ただ対極的な実感もあるんだなぁ。殴ればいいってもんじゃないみたいなこと。小学校の担任の先生3人のうち、2人には殴られた記憶がない。2人とも非常に指導力のある先生たちだった。自分自身とむかいあい、反省させる状況をつくるのが絶妙に上手かったように思う。表面的に屈服させ、服従させるよりは、育ってゆくものを植え付けてもらった気がする。そんなことがあったので、中学高校でフルボッコになってもおかしなことにならなかったとも言えるような気もするのである。
 もう一つ。父親は警察官で、柔道、逮捕術その他相当な手練れだったし、ものすげぇ怖かった、というか反抗期にはイヤになるくらい対立もして、なんか性格的にはちょっとNPDッポイとも思うし、愚にもつかないことでぐちゃぐちゃやりたい放題というか、素面で酔っぱらった菊次郎みたいな婿養子野郎だったわけだが、よく考えてみると一度も殴られたことがない。威圧されたり、言い合ったりもしたが、殴られたことはない。こちらが頭冷やせとバケツで水をぶっかけたことは一度あったけど、そのときも体罰はされなかった。というか、家で叩いたのは一度だけ恐ろしい記憶になっている。それは母親が私の頭を叩いたときで、婿養子のやったことを黙ってみていた祖父母が、一言「両親にあやまんな」といったことを覚えている。ひとりだけ手をあげた母親もなかなかの残像となって残っている。
 親も祖父母も小学校もろくに出ていない人たちであったけど、そのときのやりとりは強烈な印象になっていて、私の中で品格とか、品性といったことばと結びついている。無理をして行った私立中学で、金持ちの子供に弁当のおかずが魚肉ソーセージだけだったのをクククと笑われ、なんだかんだいわれても、自分の誇りのよりどころはまったく別のところにあったので、屁でもなかった。これは大学に入ってからも、あるいは勤めるようになってからも、同じことである。
 で、何が言いたいかというと、殴るといけないということでぎゃあぎゃあゆうのもいやなんだけど、殴ってもいいやんけとぎゃあぎゃあゆうのもいやだということだ。尾木尾木は、愛の鞭などというのは、指導力がないからだとかゆっているんだが、なんというか、誤解を恐れずに言えば、殴るのにはものすごい指導力がいるのではないかということも言えると思うのである。特に今の時代はそうなんじゃないかなぁと思う。
 まあ昔はそうでもなかったと思う。私がアルバイトをやっていた塾なんかでも、塾長と親御さんの信頼関係は絶大だったし、世話役の親御さんが近隣の名うてのワルガキをめんどうみてやってと、たくさん塾に入れていたようなのだ。そんなことは知らないので、適当にあたまひっぱたいたり、ヘッドロックしたり、やりたい放題で教師のまねごとをしていたんだが、あとで近隣の不良グループの親玉だとか知って、少々ビビったりした。それでも、上手く行ったのは「場」が確立していたからだろう。すべての問題を愛の鞭に変換すれば、自動的に問題が解決するとは思えない。ただし、問題提起としてのインパクトは相当なものだろうし、そういう意味で政治的発言としては一定の意味があったとは思う。