Micro『踊れ』@「おせん」

 昨日朝生を久しぶりに見た。貧困の問題は、この国の馬路問題になりつつあるということが熱く語られていた。ちょっと前には、「日本にだって餓死した親子がいる」というようなことは、必死に見つけ出して、シャウトするようなことだったが、この頃ではけっこうあたりまえの日常になりつつある。それぞれの政党が、政策の恩寵と負担を科学的に明示してくれれば、私たちはもう少し選択しやすくなるだろうなぁと思った。

 けっしてネオリベ的修辞疑問などではなく、いくつかの疑問文が脳裏をよぎる。シャミンは間接税を上げるんだろ、とかゆわれると黙っちゃうのは、ちょっと情けないだろう。どれだけ上がるか、どれだけ企業がダメポになるのか、あるいはどれだけ企業が和風じゃなくなり、あるいはトンズラ扱くのかというようなことを明示してみたら面白いと思う。モリタコならできるだろう。昔のサヨクの紋切り型くり返しているだけの人ぢゃねぇんぢゃねぇか。最後に勝ち組のくせに牛丼喰って庶民面するなとか言われちゃってたし。間接税とか、フレックスになるといいのにとずっと思っているけど、まあ無理なんだろうね。累進ということだけじゃなく、選択もありというか。恩寵があるなら、私のような投資にむかない人間は、4割くらい払ってもいい。そういう人は少ないんだろうけどね。

 思いだしていたのは、「おせん」である。これって、ワーキングプアな若者の応援番組ねらってるんぢゃね、みたいに思わないことはない。あるいはナベツネが、若者啓発動員番組をつくらせた、わけもないよなぁ。w この主題歌を、ミスチルだと思っていて、鬼バカにされた。Microの『踊れ』という曲。歌詞は、Both Sidesな詩句がならんでいて、そこでやり場のない感情がマグマのようにこみ上げてきて、んでもって、踊れ!!とシャウトして、そしてジョイマンほどじゃないが、ちょっとへなちょこにラップを刻む。蒼井優が意志のある勁い表情で旗を振っていたのを思い出す。

 能率と効率のよいディスポーザルな鬼使い勝手のいい資源として甘んじているのではなく、実は地球自体が狭くなっちまって、困ったことというか、理の当然というか、鬼人口の多い国たちが、今度は漏れたちの番ダゼみたいに、贅沢を謳歌し、しまいにはどうしようもなくなったら殺し合いに発展してもちっとも不思議ではないというか、あるいはもうそれがはじまっているというか、ともあれそういった、グローバルな経済と社会の仕組み行き詰まりのなかで、ひと盛り、ふた盛りと、踊らされて回収段階にずっぽし入っちゃっているようなところで、着実な付加価値を創造して行くには、どうしたらよいのか。ラップや発泡スチロールのようなディスポーザルなものが効率よく使い捨てられてゆく現実に対して、鬼高級な遊びと贅沢と道楽となにやかにやらが、対比されてゆく。ちんけに建設的にやるんじゃなく、ものすごい奇想天外であることで、逆にリアリティがある感じになっているかもしれない。

 ちょっぴり臭い芝居と、台詞回し等々を、マンガだぜ、とかわしつつ、最近の人々が好きな癒しと、ちょっといい話などを交えつつ、ドラマにしちまっている「おせん」は、まあマンガのほうのファンはあれかもしれないが、そうでもない私としては最後までみてみようかと思っている。

 しかし、これもまた、いわゆる一つの「BMWを三台もっている人間の道楽な世界」にすぎないんだろうか。餓死することが日本のありとあらゆるところにあり、イエを守るために子どもを殺したり、売り飛ばしたり、あるいはまた自分が食べる分を子どもに食べさせて親が餓死していったりするような状況のなかで、尾頭付きの鯛に舌鼓をうっているような椰子がいて、他方で職人がいた。「もったいない」は美談などではない。生きるためのとぎすまされた知恵だったはずだ。何らかのオダイジンにパラサイトするんじゃなく、自分自身がオダイジンになる。とか、いうような、愚にもつかない理屈をもうちょっと見栄えをよくする程度のことはいくらでもできるけど、くだらねぇよな。

 岡山に赴任した頃、山陰を旅した学生たちが「田舎の人たちは素朴で人情味があっていい」などとほざいているのを聞いて、何をほざいていやがると思った自分も同じようにというか、もっと醜悪にほざいているだけということに気がつき、吐き気がしたことを思い出す。まさか、「外こもり」ってそういうもんじゃないよな。

 それにしても、マンガというのはすごいモンだと思う。バルザックの『人間喜劇』のように、ありとあらゆる職業が描かれている。ターケルの『仕事』みたいに、いろんな仕事が描かれている。人気が出るには、いくつかのポイントがあるんだろう。そこを変えれば、国策的総動員作品がぞろぞろできるだろうが、多くの啓発ものや、左翼政党の紋切り型のようなリアルでしかなくなる。逆に言えば、そこに啓発やサヨクの可能性があるんだろうね。まあ、単位は国じゃなく、人間であることはたしかなんだろうが。