入学式とビラ配り

 4日は入学式で、大学はたいへんなにぎわいでした。ともかくサークルの勧誘はすごいものがあります。大学の近くの駐車場では、十数人の大学生とおぼしきがうんこすわりで休んでいて、妙なヤンキーみたいで笑いました。このグループはまじめそうな感じでしたが、なかにはギャル男チックもいないことはありませんです。なんかねぇ、どこで雇ってきたのというイケメン軍団みたいなのでビラ配りをやっているのがいて、露骨だけど、けっこう学生はしっかり見てますよ。何年か前にすごいなと思ったのは、うちは顔セレやってませんという女子部員がいっしょにビラ配りすると言っていた女子部員の奴がいたこと。そいつがビラ配っていたのが笑えたわけですが、やらされているわけじゃなく、新入生がひかないような配慮だったそうで、私は感銘を受けました。
 ただね、顔セレされたいというか、セレクはやだけど、ともかくビラ配られたいみたいなのもいるようなのね。つーか、就職まわりでスーツ着た4年生が、けっこうこの日を狙って学校に来るんだよな。でもって、ビラもらったとか、あとでオー騒ぎしているからな。これはセレクというよりは、1年生にみられたということの喜びなんだろうけどね。卒業生でも、みくしで4年までもらったと、オー自慢しているのがいたからね。
 入学式は礼拝と点呼とちょっとした挨拶というあいかわらずのシンプルなもので、何度出席しても凛とした新鮮な気持ちになります。はじめて気づいたのですが、入学式には校歌は歌わないんですね。卒業式では歌うんですよね。つまりは、特定合唱サークルの人以外は、四年の最後まで校歌を聴かないということで、まあなんというか、うちの大学らしいと思います。
 閑話休題。パチンコ冬のソナタ2をやりたいと思っていたのだが、どこに行っても空いていない。で、ネットを見ていたら、4日の開店前は徹夜の行列までできていたらしい。まあ最初は、2万発や3万発は出すのがけっこうあるだろうし、すごいのは朝から閉店までとまんねぇっす、みたいなのもあるだろうからね。で、はやしまるで塩ラーメンを食べ、特に用事があるわけでもないが、深いプールで泳ぎたいということで横浜に帰ってきた。辰巳に一度行ってみようと思うのだが、毎日のように大会をしているのだ。飛び込みのプールを開放しているようなのだが、ほんまに水深5メートルで泳げるのかね。一度泳いでみたいんだが。
 道すがら、横浜駅ですごい人だかりになっていたのだが、人が倒れていて、AEDが装着されていた。しばらく見ていたのだが、心電図を計り、的確な指示が出る。若い女性が心臓マッサージをし、駅員の人たちが人工呼吸みたいにしていた。なかなか救急隊は来ない。この装置は非常に重要なものだと思った。
 数日前届いた『社会学評論』の新刊をみていたら、査読の書き直しをして、B判定からみごとD判定になってしまう人がけっこういることが「あとがき」に書かれていた。コメントを誠実に受け止め直すのはいいが、あまり防衛的にコメントに対応し、直しすぎると、理論構成と理論展開、そしてデータや資料を用いた実証のバランスが崩れてしまい、論文の構成が瓦解してしまうことは、自分でも体験したことがある。枚数制限があるとなおさらだろう。いろいろな先生たちが同じようなことをいっているのを耳にしてきた。コメントはコメントとして、改善の糧としつつ、立論のバランスは崩さないことが必要ということじゃないだろうか。
 しかし、査読で落とされるのは、非常に腹立たしいものだ。その腹立たしさは、ほとんど自分への怒りである場合が多いのだが、それでも感情の整理には時間がかかるし、まして論文を手直しするエネルギーにかえて行くには時間がかかる。ある本のあとがきにも書いたが、私は査読者に質問状を送り、ねじ込んだことがある。ねじ込めたのは、まあそういう時代だったということだろう。査読者は、鬼のように厳しい人だったが、怒りの責任転嫁をしようということを断じてゆるさんという感じで、ねちっこく細かく欠点を指摘して、指導してくれた。駒落ち将棋で、がんがん攻めてくる下手の手を読み切り、丁寧に面倒をみて、完封勝利をする上手を思い出し、苦笑した。