お彼岸の中日に墓参りに行く予定が、春の嵐のようになってしまっていけなくなり、とりあえずいける者がということで、私ひとりで墓参りにいくことになった。上大岡まで行き、昼飯はそこで喰った。適当に歩いていたらくじら軒があったので入った。所謂シナそばではなく塩ラーメンがイチオシになっていたので食べた。細麺で、ちょっと守備範囲が違うがなかなか上手かった。帰りは、そこからセンター北まで地下鉄ブルーラインで行き、国際プールで5000メートル泳ぐ。同じくらいの速度の負けず嫌いっぽい人に仕掛けるとのってきたので、併泳して一気に泳ぎ切った。ほぼいっしょに泳ぎ終わり、エールを送りあった。
しかし、くじら軒ならさ、センター北にあったのに、あほらしい。しかし、夕飯には早いので、そこから多摩地区にまわり、西国分寺付近から小平まで歩いて行って、藤の木で食事をして帰ってきた。そこで読売新聞を見ていたら、出ていたのが献体の死体あまりまくりという記事。「20年前、10万人に満たなかった献体登録者は現在、21万6000人と倍増している」ということなんだね。そして、千葉大学や神戸大学などは、献体する人の会員登録を制限しているらしい。以下読売の署名記事を引用。
献体運動にかかわってきた順天堂大の坂井建雄教授は、日本人の死に対する意識が変わったことが大きいと分析する。「通夜から納骨に至るまで、何日もかかる一連の儀式を見届けることで、日本人は肉親の死を受け入れてきた。でも、医学の進歩に役立つという意識を持つことで、多くの人が死に理性的に対処できるようになったのでは」と話す。
「申込者はほとんどが60代か70代。自分の死を思い描ける年齢になって、世のために何か役立てたら、と思われるようです」。こう話すのは、千葉大学の窓口団体「千葉白菊会」会長の丸山武文さん(70)。同会には年約300件もの相談が寄せられる。
中には、懇願するように頭を下げる人も。「両親や兄弟、子どももいない。だから死後の面倒を見てほしい、というのです。本来の趣旨と外れているので、お断りしたいのですが」。大学は慰霊を行い、遺骨の引き取り手がない場合、納骨もする。千葉大には戦前に作られた納骨堂があり、今でも年に数体が納められる。
5年前には、悲しい出来事があった。登録者の80代の男性がアパートで孤独死したのだ。発見が遅かったために、遺体の損傷が激しく、大学に送ることはできなかった。丸山さんは思い出すたび、やるせない気持ちになる。
社会の寂しさは、だれが治療するのだろう。(金杉康政)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=20&id=439487
前にこの日記にも書いたが、実は岡山大学に問い合わせたことがあるのだ。前任校であり、医学部(特に当時の医療短大)の教え子もいるし、役に立てばと思ったのだ。そうしたら、岡山らしいというか、おそらくは県民独特の気遣いと、そして最初は戸惑ったなつかしいようなそっけなさで、「今は昔と違い、死体は余ってます」みたいな言い方で、馬路かよと思っていた。この記事を見て、得心した。たしかに余っているのだ。そして私は、足りないから少しはありがたいと思ってもらえると思っていたのだ。だから、ちょっと不満で、私祈ってますの替え歌みたいにして、「死体余ってます♪」みたいにブルースを口ずさんだのでした。
あまっているとしても、上のような事情とは思わなかった。どちらかというと、行き倒れとか、身元不明死体が増えたのではないかと思っていた。
閑話休題。墓参りの件だが、帰りも吉祥寺まで歩こうかと思ったが、さすがにやりすぎかと思い、小金井へ進路変更。さらに中大附属前でバスに乗ってしまった。しかし、新小金井街道沿いにはラーメン屋が多いよなぁ、などと思っていると、疲れがどっと出た。少し休んでから電車に乗ろうと思って入ったのが、バス停前のパチンコ屋。アクエリオンの前に座って、玉を2000円買ったら。いきなり気持ちエエになってぶっ飛び。一気に5箱。最後は鬼モードでハンドルがピロピロいきまくっていたが、連ちゃんが止まったところであっさり引き上げた。