鳥居みゆき・考

 コメントで情報をいただき鳥居みゆきの芸をぎゃおその他で鑑賞。鑑賞のポイントは、卯月妙子さんにヤキ入れてもらうぞゴルァみたいな要素が微塵でもあるかどうかということでありますが、乖離という設定?が実に(結果として?)巧妙であるというか、そんなまわりくどい言い方をせずとも、ぶっ飛んでいて、エッジたちまくりで、すげぇと思いますた。というか、馬路やばいのかもしれません。まいみくのこんとらくちおさんは、山田花子に近いものを感じたとおっしゃっておりまして、なるほどとか思った次第。身体と表情の制御に漂うアウラは、しばらく注目していきたいものです。
 個人的には、「数子」 、それと対極的っぽい「ロリィタ族。」(追記:これは別人ですか??わけわかめ)とかが、非常に興味深く思われました。「数子」 ぜってぇテレビでレねぇと思いますが、時系列的にはヴィジュアル系から逢着した地点の一つがここだとすれば、すごいもんだと思いますが、どういうことになるのか・・・。「オマエの母さん元シノラー」ってなんだよ、みたいなところは、まだ笑っていたのですが、だんだんシャレにならんとか思いはじめ、最後の一言で凍りつくみたいな。練り上げたネタなんでしょうか。それをまた、あるあるネタにしてしまうというのは、非常にマニアックな試行とも言え、エンタの何様にはぶっ飛ぶものがあります。
 ヴィーコだ、キケロだ、ベーコンだ、マクルーハンだ、ベンヤミンだ、戸坂潤だと、大騒ぎしていたら、元教え子のバカチンに、「それじゃあ結局中村雄二郎ぢゃね?つーか、30年なにも進歩してなかったということになるんぢゃね?」とか、率直発言されて爆(´・ω・`)ショボーンでしたが、正鵠を射ているなぁと思いました。『共通感覚論』を引っ張り出して読んでみると、たしかに掌の上で・・・というカンジですからねぇ。こういう発言に出会うと、お子様ランチなお勉強が主流になってきている昨今のキャンパスに対し、刺激がなくなったかなぁとか思うんですが、まあそれもこちらの学習能力の低下かもしれません。
 ともかく、『メディアの法則』を読んでいて、カトリシズムという補助線がくっきりと見えてきたこと、そしてさまざまなものが一直線にならんでみえたことはたしかです。まあそれは、惑星なんちゃらというのとおんなじなのかもしれませんが。ド・セルトーだとか、イリイチだとか、ジョイスだとかまで直列しているように見えるし、ヴァナキュラー、パロールだとか、あらわれては消えていったことばたちが、躍動しはじまますた、みたいな。w それをどうまとめてゆくかが、今後の課題になることはたしかですが、大学における学びの変化なども視野に入れて、何をどうやっつけたもんか、考え込んでしまうのでありました。
 本日は女子大のA日程入試の合格発表でした。ちょっと横浜にいるので、見に行けなかったのはとても残念です。ネットで合格発表を見るのが主流になっている時代において、大学まで見に来られる人々は、それなりの思いがあるはずで、場に立ち会うことで、私たちもいろいろな力を得ることができるように思いますから。しかし、毎年思うのは、みんなけっこう難しい試験を通って入学してくるんだなぁということです。そのわりにはぶったるんでるなぁ、とも思うんですが、卒論などをみていると、やはりそれなりに力をつけているかなぁとも思ったりします。
 今日は東京マラソンなので、とりあえずそれをみました。イベント化が進行し、女子アナ軍団やら、浪越徳治郎ベゼ知事やら、猫やら、いろいろいるなかでひときわ目についたのは、箱根を走ったエンバーマー和田正人で、まあ予想はされたもののktkrと叫びたくなるカンジで、学生時代の金髪パンチな頭髪には大笑いでした。つーか、「なにこれ!」とかゆって、こっぱずかしがルカと思ったら、エース区間を任せていただいてとか、がちで語っていて、リアクション的にはやや不満が残りました。w 解説の瀬古俊彦さんが、五輪選考についてさえずりすぎ、うたいすぎたせいか、しまいのほうで「私も理事でして」と頭ポリポリしていたのは、怖い沢木さんにヤキ入れられたのかなぁとか、思いました。