小平藤乃木

 本日はセントポール大学の期末試験だった。非常に厳格な運営でビックリしたが、最近はそのくらいやっておいた方がいいと思う。運営は一部アウトソーシングしている模様。一つ冗談で、夏から冬への飲み物の変化というのを出した。正解はペプシからエクセルシオールエスプレッソ。最後の時間だけスタバを持参したのが一つのポイントである。ちょっと予告して、「今日はこれでして」と言ったら、ウケた。w
 非常勤半年気持ちよくできたのは、いろいろ楽しいランチを食ったことが大きいんじゃないかと思う。今日もベーグルとクラムチャウダーを買い、西口公園で食べた。あと、ジュンク堂によるのも楽しみだった。本日もちょっと早く行って、心理系の文献をひやかした。エスカレーターに乗っていたら、北田暁大×長谷正人×太田省一が70年代のテレビを語るトークセッションをするというお知らせが出ていた。ちょっと聞いてみようかと思ったが、学生の相談アポイントが入っていたので帰ってまた来るというのもしんどいので、あっさり断念。
 とは言え、学生の相談が終わった後、昨日できなかった小平の藤乃木にメシを喰いに行くというのを決行した。もちろん帰りは歩くつもり。行きは電車で行った。多摩湖線は4両編成になっていた。はじめて乗ったときは2両だった。私は入試を小平で受けたこともあり、またいまだに小平の寮の仲間とは同窓会みたいなのをしていることもあり、小平には非常になつかしい気持ちをもっている。卒業後も、挫折したり、落ち込んだりしたときに、キャンパスを訪れたりしたことを思い出す。キャンパスでボーッとして、玉川上水沿いを歩き、藤乃木でメシを喰って帰ると、元気が出てきた。そういうことをしなくなって、10年以上はたつ。
 藤乃木は、小平のトンカツ屋で、どうも私たちが大学に入るちょっと前にできた感じ。「小平で都心の味」というのが看板のコピーで、前はもう少し交番よりにあった。商売繁盛で、ビルを建て、宴会場なども備わった店になった。当時の主力メニューは、ロースカツと生姜焼きだったと思う。この二つは定食の他にランチがあり、昼のサービスメニューとなっていた。ロースカツは、「都心の味」だったが、生姜焼きはここにしかない味だった。まず肉は三枚肉で、しゃぶしゃぶのように薄く切ったもの。ここに甘みの少ない醤油ダレとたっぷりの生姜が絡み、カリッと香ばしく仕上がっているのである。卒業後食べに行って、頼むのは決まってこれだった。他にはまったくない味だったのだ。お新香は、たくあんかキャベツなどの浅漬け。私はたくあんがつくとうれしかった。
 食後には、紅茶が付くのがここの特徴だった。1970年代後半では、これは破格のサービスだった。もう一つ米がうまかった。ご主人が米所のご出身で、「これだけは妥協しない」みたいなことだったと記憶している。米所の出身者が、上京して、成功し、自分の店を持ったとき、「米だけは妥協しない」というのをポリシーにしているのを耳にしたのは、他にも何軒かある。なんか高度成長っぽい感じがするセリフだ。
 岡山から東京に戻ったばかりの頃行ったときは、このご主人が店をやっていた。ところがそのあと行った時は、配偶者の人はいらっしゃったのだが、料理をしていたのは、こぶ平みたいな人だった。で、生姜焼きは昔のものではなくなっていた。さて、これは一時的なことだったのか?これが今日の関心であった。
 で、店に入ったら、料理をしていたのは、こぶ平ではなく、サンドウィッチマンの伊達ちゃんがごま塩になった人だった。たぶんこれは同一人物であろうと思う。つまり年を重ね、円熟したという感じ。先代?のご夫妻はおらず、こぶ平みたいなあんちゃんが店をしきっていた。今の看板メニューは、ふぶきとんかつというやつらしい。トンカツの上に大根おろしをのせたもの。昔からあった気もするが、店で高い方のメニューなんかには目がいかなかったので、気づかなかっただけかもしれない。あと宴会をやっていて、もう一つの看板とおぼしき、どでかいエビフリャーとひれかつみたなのを作っていた。
 で、私もどちらかをと思ったのだが、やはり生姜焼きを喰いに来たので初志貫徹。出てきたのは残念ながら、別物だった。これはこれで美味い。この前の時は、ごましおじゃない伊達ちゃんが暗い表情でつくっていたが、今日のごましおになった伊達ちゃんは自信に満ちていた。たぶん肉の量は段違いで今のほうが多い。そして、豚肉は実にいいところを使っていて、香りが深く、甘みすら感じる。すごい肉じゃね??とか感動(✪ฺܫ✪ฺ)する。あの頃は、肉を薄く切って質感を出していただけかもしれない。しかし、あのオリジナルの味はもう食べられないのかと思うととても残念だ。自分で作ってもあれだけは作れない。もしかしたら封印してしまった味なのではとすら思った。大学が亡くなってどうなるんだろうと思ったけど、ぜんぜん客は減ってない。まあいろんな学校があるからね。
 お新香は、浅漬けの上に一枚たくあんがのっていて、なんかちょっと昔を感じた。しかし、メシが多い。さすがにビビって減らしてもらったが、それでも多かった。三分の一くらいでよかったと思う。ごましおの伊達ちゃんの味は、これはこれで美味いので、また訪ねてみようと思う。店はほとんど昔のものはないが、何軒かはあるので、また来てみようかと思った。ちょっと気がかりなのは、大勝軒が見あたらなかったことだ。永福町系では名店だったはずなのだが。
 帰りは、鬼のように寒く、そして風が強いので逡巡した。しかし、気合いで歩くことにした。病院の横を通って踏切を越える。この病院は、寮のコンパで、急性アルコール中毒でぶっ倒れたやつなんかが出ると運び込まれたところだ。われわれは寮のリアカーに乗せて後輩を何度か運んだ。私は昔から強制飲酒はさせたことはない。無理に呑ました覚えはないが、どんぶりで何杯も呑むやつはいたし、ビール一杯で急性アル中になるのもいた。特にビール一杯のほうは何度か運んだ。夜中にリアカーで運ぶ私たちは善意の先輩だったはずだが、よく医者に怒られた。反論すればよかったのだが、なぜかスンマソンとかあやまったりしていた。
 桜堤から五日市街道一直線。およそ12キロだ。玉川上水沿いを喜平橋まで行って、橋を渡る。スピードを上げて、歩くと程なく小金井公園についてしまった。ここを超えれば、境橋。なんだ楽勝ジャン。このままだと二時間くらいで着いちゃうかも。と思ったのが甘かった。まず、境橋から武蔵野大学付近までがかなり距離があった。そこから三鷹通りまでもかなりあり、なんだかんだ言って、2時間半以上かかった。まあ、時速4キロだとそうなるわな。そのあとプールで2500メートル泳いで仕上げ。時間があったので、水中ストレッチも十分して、非常に快適だった。
 帰って、墓場鬼太郎。吸血木。庄司陽子は人物描写はいいが背景描写はわけわかめ水木しげるは妖怪と男の椰子は上手く描けても女性はイマイチ、などと思っていたが、なんとなくイイカンジな女性キャラが出てきた。しかし、これはテレビアニメというよりは、テレビマンガっつうかんじなのかね。