匠の技

 私はアレルギー性鼻炎で鼻に綿棒で薬をつける姿は、コーラとともにトレードマークのようになっている。鼻の穴が細いので、奥まで薬が届かないと鼻が通らないのである。耳の治療で鼻から管を入れてシュッシュと空気を送るやつがあるが、あんな感じで奥まで薬をつける。昨日これをしくじって、奥まで入れてとれなくなった。しかも、棒でとろうとしたら、さらに奥に入ってしまったのであった。こういう場合焦らなくても人体というのは、異物を排出するようにできていて、少し待てば出てきて事なきを得ていたのであった。しかし、今回はどうも喉のほうに出てくる気配なのである。普通なら病院に行かないと、下手すると気管に入る。胃のほうに行っても不安は残る。どうするか?
 つまみ出すのである。実は、私は喉が開くのである。前に胃カメラを飲んだときに、口から飲んだのに、餅の早食いのようにクイクイ行ったモンだから、医者がぶったまげて、その医者がまたアレな人で、「馬路??でえれえな(すげぇなの意味の岡山弁で、ぼっけぇ、もんげぇなどの言い方もある)、リンダ・ラブレイスも真っ青だがぁ」みたいに言って、ガハハ親父に馬鹿笑いした。私だけが意味を理解し、胃カメラ入れたままでガハハと笑った。というわけで、喉を開けて、指を二本つっこんだ。そして、ひょいっとつまんで、しゅるっと抜き出した。自分のテクニックに惚れ惚れしたが、喉が痛い。イソジンでうがいしたが、翌日に持ち越した。あまりよくないみたいだ。なるべくしないようにしようと思う。
 最近果物に凝っている。ついつい贅沢をしてしまうが、別に千疋屋とか高野で買うわけではない。近くのマーケットで売っているなかで、高めのものを買うのである。たとえば、いちごだったらあまおうみたいなのを買う。ちょっと贅沢をした気になる。一番よく買うのはミカンだ。電車のなかで、静岡の天山みかんのコマーシャルのポスターを見てからである。「甘み」だけではなく、「コク」という概念もあることを知って、試してみたくなったのだ。別に静岡や和歌山に怨みはないのであるが、やはり岡山が長かったこともあり、ミカンといえば、やはり愛媛のものを食べないといけないという気持ちがある。ミカン農家の学生などもいたし。なかでも美味しいと思うのは、伊方の匠の技というやつだ。「コク」という意味がよくわかる。高いのだが、マーケットでもすぐ売り切れになっている。たぶん人気があるんじゃないかと思う。
 今朝、マイミクの日記であるブログを紹介してあって、笑ってしまった。「すさまじくつけ上がる」。目に浮かぶようだ。

 ただし、特に小学生から中学生くらいについて言えるのは、「怒られる」という経験をあまりしておらず、ひたすら褒めて、図に載せると、すさまじくつけ上がることがある。最近の若い塾講師や、生徒の話に出てくる若い学校の先生も「怒る」ことが苦手だが、要所、要所で、感情的にではなく、うまく「怒ってみせる」ことも指導する側の技量として求められているように思う。
http://web.sfc.keio.ac.jp/~ryosuke/sociologs/2008/01/vs_1.html

 テレビのCMで、「おれ先生のこと嫌いだったよ。だから先生みたいな教師になる」みたいなセリフがしみるやつがある。まあ理屈はわかるが、教わる側としても、教える側としてもあまりピンと来ない部分もある。私は、人格的な関係を極限的に排し、利害、損得だけで、学識を伝えるという技術的関係以上のものは求めなかったし、求められるのも拒否し続けてきた。けっしてつきあいが悪いわけじゃない。勉強の相談にはのる。昔はよく学生とカラオケ行ったり、呑みに行ったりしたんだが、それもまあネタづくりみたいなところはある。勉強に限定して、とことん利用しあえばいいと思っている。使えないやつもどう使えるかを考える。そうすれば、双方の猥褻な理想化などは介在する余地がなくなると思う。