裏声で歌えマイウェイ、ってか?

 ロッキー・ザ・ファイナルをみた。この最初の作品は、できない連中の家庭教師などをしているときに、しばしば用いたものである。みせると、ほとんどのヤツが萌え萌えになる。そこで、主題歌のテープを貸してやる。「こんなくだらないもの」とか言いつつ、借りてゆく。あとで家の人に聞くと、毎日部屋で聴いているという。そうなったら、まあ型にはめたというか、勉強はできるようになってゆく。まだそういうのんびりした時代のことだ。個人情報保護法などという面倒なものはなく、学生たちの個人情報に分け入って、相当立ち入ったやりとりをしていたのを思い出す。今は、そういう指導は禁じられている。プライバシーに踏み入ることは、許諾があろうと、ハラスメントになる可能性があるのだ。まあ、指導は楽になったとも言えるわけだが。
 ロッキーで思い出すのは、もちろんエイドリアン!、もあるわけだけど、それよりも印象深いのは、淀川長治が「いいですねぇ、面白いですねぇ、じゃあ来週の映画、ご紹介しましょうね、さいならさいなら」とか言いつつ、「アメリカ人もようやく負けることの意味を見直し始めたんですかね」とボソッと言ったことだ。ロッキー座ファイナル。原点回帰とは、いったいどういうことになるんだろうか。とあるブログ。

 ボクシング界から引退したロッキー(シルヴェスター・スタローン)は、かつての栄光の面影はなく、小さなイタリアンレストランを経営して生計を立てていた。他界した愛妻エイドリアンとの思い出にすがって生きているロッキーは、己の心の喪失感を埋めるかのように、再びプロボクサーのライセンスを取得するために立ち上がるのだが……。
 私にとって『ロッキー』シリーズは映画を見始めた頃から続くシリーズで『スターウォーズ』と並び私の映画のバイブル的な作品だ。そんな『ロッキー』がまさかの復活で正直見る前は不安だったが、映画が始まり『ロッキー』のテーマのファンファーレが流れて来ただけでジィーんとしてしまった。音楽はシリーズ4以外全てを担当したビル・コンティ
 映画はスタローン人気絶頂期に作られた3〜5と違い、人気スターが落ちぶれて初めてスタローン自身の気持ちがロッキーの人間性に反映されているようにも感じ取れる。
 妻に先立たれ、過去の栄光にすがりつきレストランのお客に自分の昔話を聞かせるのが日課のロッキーの姿が何とも哀れで、偉人の息子は父を煙たがり、義理兄と共に思い出の場所巡りをするロッキー。薄暗い映像とビル・コンティのスコアが『ロッキー』1作目のテイストをうまく再現され、淡々とした演出は1作目の監督ジョン・G・アビルドセンの魂が乗り移ったようだ。
 そんな中、テレビの番組で過去のチャンピオンと現在のチャンピオンが戦ったらどっちが強いかというコンピューターを使ったシュミレーション番組でロッキーが担ぎ出され、再びロッキーに脚光を浴びる事に。このシーンで使われているCGの出来がいい。
 そしてロッキーは再びリングに立つことに・・・。
http://plaza.rakuten.co.jp/masala0517/diary/200703190000/

 無敗のまま飛行機事故で逝ったロッキー・マルシアノと最強伝説カシアス・クレイのシミュレーションは、日本でもテレビをやったけど、それをロッキーでやってたのはびっくりであった。アメリカの興業ビジネス、記者会見のパフォーマンスなどのことも描かれ、ちょっとカメを思い出したりした。まあともかく、懐かしい映像がサブリミナルにくり返され、「オリヲン座からの招待状」みたいなセットで、鬼懐かしさが演出される。ロッキーをリアルでみた団塊世代から私たちくらいの人間は、もう萌え萌えでしょうね。このような演出が、マーケティングでもやった結果か、スタローンがベタでやったかはちょっと興味がある。
 くたびれた犬をもらい下げたりと、こまかい描写もいろいろあったけど、たとえばダメダメだったロッキーが、ロッカーを取りあげられたりとかいった、がつんと来るような、丁寧な表現と比べると、今っぽいグイグイと太い筋道を押し出すような感じで、やっぱハイタッチ系じゃんとか、思ってしまったりした。でも、特別な思いで最後までみてしまったのは、やはり第一作の残像があるからだろう。生卵何十個もグイグイ飲み干して、フィラデルフィアの街並みをランニング、ペットショップのねえちゃんに恋して、不細工に口説いて、んでもって、エイドリア〜〜〜ン!というのは、理屈を超えているものがあるわけだよな。これがあるから、2作目以降のカチンコチン、つまりはアポロとの友情や、ドラコとの死闘みたいな、わけわかめなハイタッチも、まあ言ってみれば、ファンが(・∀・)イイ!!シーンをくり返しみるというか、新婚さんが結婚式のビデオの見所を暗記するくらいみるとかそんなかんじで、反芻できるわけだし、今回のもそうなんだろうな。マイウェイだって、いろんなものを共有できる人々で謡えばそれなりに、さまになるというか。