欽ちゃん爆走

 毎年のことだが、御神輿をかついだ。メタボ侍のみならず、キグルミの人とか、いろんなところで熱中症が起きているので、十分気をつけたが、ともかく一時間くらいみっちりかついだ。今のところ、肩こりがとれた感じだが、明日以降出るかもしれない。そのあと、元町プールまで歩いて、さらに3000メートル泳いだ。まあ、ここまでくるのに6年くらいかけている。ジムに通い始めた頃は、平泳ぎで500メートルくらいで (;´Д`)ハァハァだったのだ。コツコツ距離を伸ばしてきたわけで、一気にやったらやはりメタボ侍と同じ運命だろう。
 帰ってメシを喰いながら、24時間テレビを見た。街では、欽ちゃんまだ走っているかとか、まだ生きているかとか、すごいこと言っていた人がいて、笑ってしまったが、時間はともかく走り通したのだから驚きだ。あと驚いたのは、たけしと欽ちゃんが数歳しかちがわないということだ。もうひとつ、めったに公開しない家族のプライバシーが手短だが、公開されていたことは、かなり驚いた。ただし、芸人時代のオトシマエをつけたということではなく、なぜ24時間かという動機の説明だった。極楽山本サプライズ登場というのはなく、穏当に終わっていた。ゼミの教え子が勤めているKNBのメンツがはしゃいでいるのが、豆粒のようにうつっていたのでワロタ。
 24時間テレビについては、学生時代はちゃんちゃらおかしいみたいに言っていて、岡大に勤めた年に、授業でいろいろ言ったら、マジギレした学生がいて、禿げしく議論した覚えがある。「24時間に行った」という文化というか、そういうものが地方都市にあるということがリアルな実感としてみえてきたことは、忘れられない。最後のテロップに四味一男の名前があった。コンバットな人たちは、サクッとパクって挑戦して欲しいというカンジがしないことはなかったが、コンバットのメンツが「富士はウンコ」とかゆって、エンタであるあるあるあるとやっていたら、おかしいだろうなぁとか、わけわかんないことを考えた。
 島田紳助が洋七ネタやっていたのはあれだけど、さんまちゃんとか、たけしとか、洋七はキリコどころじゃないネタ歌舞伎まくり、ゆっていることのほとんどが嘘、がばいばあちゃんなんかいなかったのにつくりまくっている、とか言いたい放題だったことを思いだし、笑ってしまった。しかし、そっちばっかじゃなく、泣きと熱さで勝負できるのが、今時のパフォーマンスと言えるのかもしれない。地方の少女達が東京を想像して書いた携帯小説が、バカうれで、しかもそういうのを読んで、一晩泣いたという時代なわけだからね。
 あまりテレビは見たくないのだが、お祭りの日だし、つきあってみることにする、というか、うちは基本は一部屋なので、テレビがついているといやでも、耳に入る。というか、二台テレビがあって、24時間と、バレーボールをがんがんにつけている。年寄りは耳が悪いから、すげぇボリューム。昔はこういうなかで、認知症のばあさまがほいほいほいと謡い踊り、職人のぢいさまがばっけやろうとかぶつぶつ文句あれていたようなところで、勉強していたのだから、不思議でならない。まあでも、ながらでも、このくらいのものはかけるのであった。
 行列・・・では、鮎ぢぃのネタがワロタ。視聴率低下覚悟というネタだと言うが、要するに石を割って、石器をつくり、その石器で腹を割く。鮎を洗う。おにぎりがある。梅干しをつけ、そのままパクリ、って、言うほどのもんではなく、お寿司のようなかんじですやん。と思ったら、おじいは、いきなりパクリをした。しかも、カポッとするするする。これを野見隆明がやったら、まるで半魚人だろうが、絵面が整いすぎていて、そうでもなかった。