関東社会学会(学問編)

 今原稿執筆中で、本日も講義が終わったら、ずっと執筆でした。またまた書き直しになったのです。その話を関東社会学会で話したら意外な顔されましたが、院生時代に母校の経済研究所の研究会で、教授が助手に「ごるぁ方程式まちがっとるぢゃんか」とゆわれて、結局投稿原稿ボツになったみたいな話も知っているので、そんなことはあったりまえなのであります。しばらくしてから書こうかと思ったのですが、izumixさんになんかゆってちょ、ということだったので、ゆってみることにいたしました。照れもあるので、ショーもない文体で書きます。

第7部会:若者(2)〔1B棟・2階 1B202講義室〕 司会:
1. 「フリーター」/「ニート」を生きる 仁井田 典子(首都大学東京
2. 若者における「感覚」的な職業とは何か
――クリエイターとアイデンティティ社会学 加島卓(東京大学日本学術振興会
3. 「笑い」を重視する若年層のコミュニケーション――会話分析からみる一考察
瀬沼文彰(東京経済大学
4. 現代学生の「まじめさ」の形成要因――勉学を重視する学生の文化的背景に着目して
小澤昌之(慶應義塾大学

 第一報告。就業支援施設に通う人の聞き取り調査。アルバイトやって語学学校へ。親にも世話になっていて、貯金取り崩す生活。本来の目的である就業とは別の語学の勉強(英語ではない言語)をやってるけど、それで就業するでもなく、院に行くでもなく。今を忘れたい。みたいなことを詳細に報告していた。フリーター、ニートッテならべてどうする気なんだろうと思っていたが、カッコで括って「/」でつなげていたところがミソなんだろうな。「手段を目的化」というところに論じ至っていた。
 第四報告。「まじめさ」というものを、まじめの四象限図式だぜ、ショワッチだぜ、みたいにやるんじゃなくって、質問紙調査をするための尺度化をめざして、とりあえず一歩を踏み出したところは、すごく大事な発表だったと思う。教員養成系=まじめ、とかゆっちゃっていいのかなぁとも思ったが、私が調査をしてきた経験から言ってもそういう傾向はある。資格志向的なところで、コンサマトリーなところも出てきているというのは、語学というカチンコチン実用がコンサマ化しているみたいなのと重なり合うし、なんか一つの傾向性みたいなものが見えた気がした。
 第二報告。若者礼賛っぽかった時代から、バカ猿けもの脳が違うと罵倒される今日に至るまで、若者が感覚的であるという一点だけは変わってない。でも、それを自明視するのは、ちげぇんじゃねぇかつぅことで、感性ってことで、「若者」が立ち上がってしまうことをカッコで括って歴史社会学的に解析しよう、みたいな話。話をグラフィックデザイナーに限定して、ゲージツとの峻別みたいなところからはじまって、横尾忠則とかも出てきて、論証も丁寧であった。が、感覚的=(・∀・)イイ!!、っていうのは、わけわかめなところがいいと言ったことに対し、わけわかめって言われてもわけわかめぢゃんという理論的批判が山田格差社会昌弘さんから出されて、お!議論になるかな、と思ったら、あまり反論されなかったので、ちょっと残念だった。司会者も、ちょっと挑発っぽいことをゆっていたのだが、回りくどくて、報告者に伝わらなかったみたい。そのうちどっかに出るでしょう。たぶん。
 第三報告。笑いとコミュニケーションと若者。元吉本興業お笑いの人。あの、『キャラ論』著者。会話分析と称して、調査としてやったことはどうだったのだろうとも思わないことはない。会話分析のご専門の方からも、遠慮がちだが疑義が出されたし、再び山田パラサイトシングル昌弘さんから、シビアな指摘があった。しかし、まあ、考えようによっては、コメントをいただいたという意味では、黙殺されるよりずっとよかったんじゃないのかな。私は、何度か黙殺の刑になったことがある。あれは泣きそうなものがある。会話分析の方からも、笑いを生む状況とキャラの関連みたいなのがわからんちんとか、有益なコメントが出ていたし。アフターで、若手の研究者の人たちが「面白かった」という声がいろいろあがっていたことはたしか。「調査被害」という言葉すら立ち上がっているわけだから、調査についてはやっぱり気をつけた方がいいとは思った。

テーマ部会A 多元化する若者文化〔1H棟・2階 1H201講義室〕
司会者:浅野智彦東京学芸大学) 松田美佐(中央大学
討論者:山田昌弘東京学芸大学
1. 若者文化の個別性 山田真茂留早稲田大学
2. 若者文化論の系譜――折々の主題から見えるもの
岩間夏樹(ビエナライフスタイル研究所)
3. 地方の若者・都市の若者――愛媛県松山市・東京都杉並区2地点比較調査の結果から
辻泉(松山大学

 「若者文化の多元化」という論点をめぐって、報告者がそれぞれのご研究を報告され、そこに討論者が格差社会論から直球勝負で、本格派とされる社会構造論とどっちかというと893な領域とされた文化論(某氏が発言して元学会会長がむっとしていたのを思い出すが)をつきあわせ、「で、作品性がある若者論をちゃんと提起できるのか?」みたいな問いかけがあって、非常にスリリングだった。司会者も、昨年よりも数段出来がよく、シュタシュタと論を切り分けて、小気味よく進行されていた。izumixさんもおっしゃっていましたが、拙稿を引用していただいたりして、申し訳ない感じでありました。そんなわけで、とりたてて言うこともないだろうと思ったし、今もその気持ちにかわりはないのですが、一応明確に白旗は揚げておくのが今のところの誠意かなぁとも思いました。
 私は、「もう一つの地方文化」として若者文化をフィールドワークしたということで、まあギャグエッセイみたいなものを書いたことと、あと「サブカルチャーとしての地方文化」という主旨で調査した結果をまとめ、サブカルチャーは若者っていうより、障害者とか、高齢者とか、地方とか、いろんなふうに多元化、多極化しているのではないかみたいなことを書いた経緯がある。前者は、「若者文化の多元化」みたいな問題提起を含んでいたわけですが、どちらかというと論は、「サブカルチャーの多元化」論へとシフトしていった。その展開において、第一報告者の論文を引用させていただきました。「若者文化の抽出と融解」という論旨は、「サブカルチャー神話解体」というよりは、「さまざまな抽出と融解」をあらわしているように思えたし、「サブカルチャーの多元化」という論点を明解に論理化できるように思ったわけである。若者文化を固定化するとすると、一定の論の対立は生じてしまうということは論の必然で、それは言及もした。
 討論者の問題提起に照らすと、私の言おうとしていた「多元化論」は、いささかツッコミが足りないというか、そこから論がはじまり、作品性を提示しないと、現代社会論としても、若者論としてもダメポであることに気づいて、正直爆(´・ω・`)ショボーンだった。これに対して、とりあえず60年代的な若者文化について論を限定し、「若者文化の抽出と解体」と論じることは、「○○の抽出と解体」という論点を提起しているわけであるし、「多元化論の抽出と解体」ということをも含みこむ射程のひろい議論であると思った。あらためて――けっして儀礼的にではなく、少し不承不承っぽく――表敬せざるを得ない。対抗性、商業性、下位性その他、「若者文化の固定化」という論点についても詳細な文献サーベイのもとに吟味され、多数の事例を挙げるなど、こちらの土俵で問いかけを受けているようにも思った。私はものを考えるのにすごく時間がかかる人間なので、今のところは↑くらいしか思いつかないので、なにも発言できなかった。もうろうとした意識のなかで妄想したこと・・・。
 赤ん坊と大人(五歳くらいの働き手から、ケコーンして子供もいる大人までいるわけだけど)しかいなかった時代から、子供が誕生し、若者が誕生し、で、その誕生した椰子らが、いろんな歴史的偶然が重なり合うなかで、若者文化として取り出され、それが融解した。今や若者は中高年化しているとも言えるし、わけわかんないことになっていて・・・。最後のほうで、「昔の若者は自分たちをヘンだと思っていたけどヘンでもなんでもなく、今の若者は自分たちをまともだと思っているけど超ヘン」みたいなので、A川さんの爆笑が聞こえた。というか、けっこうみんな感心していた。
 こういうところや教室でしか言うつもりはないけど、一つ考えていること。ホルナイやフロムは、神経症的パーソナリティということを言って、工業化から「産業構造の高度化」の時代の人格類型について論じ、80年代にはスキゾキッズ論が出てスキゾ的人格が問題になり、シゾフレ人間なんてものも出たけど、今はさ、たぶん境界例的パーソナリティみたいなのが、問題になっていることは、岩波ブックレット土井隆義さんの論考などからも予感されるわけだけど。「境界例の時代」「ボーダーな椰子ら」とか。それが文化かどうかわからないけど、リストカットとか、そういうのと、ヘイトアッシュベリーと大差ない気もするんだけど。サリンジャーも、ビートニクも、村上春樹も、ハチクロも、スガシカオも、みんなまとめて、「ノムコウ」みたいなことだろうし。
 ただ、今の場合、こういうところについて、加藤典洋『この時代の生き方』における自己チュー礼賛みたいなことが言えるかどうか、言えないと文化を喪失した若者集団ってことになっちゃうんだろうなみたいなことは言われるんだろうな。へこみやすく、ギャグ言って「うける?」とかゆって、感情リバースしまくりで、すぐキレるみたいな椰子らを、日大闘争で学生にぶち当たられながら、メガホンもって「おまいら(・∀・)イイ!!」と絶叫して、立ちつくした羽仁五郎みたく、「感情のリバースこそ日本の民主主義の可能性がはじめて開示したっつぅこと、そこから始めなくちゃ」とか、言うのはたいへんだよな。私は、「間」に注目して、attitudeとか、パロールとか、いろんなところから資源的価値をみてみたいと思って、科研をとっているんだけど、そんな予告編発言するのもおぞましいし。
 第一報告者の理論的な報告に続き、第二報告者も第三報告者も、貴重な調査結果を発表され、それぞれの作品性をうちだしていた。izumixさんの調査は、私の一番の関心領域なので、非常に興味深かったです。これもコメントに時間がかかると思います。二つだけ、卒論で前にバークレー音楽院に留学した日本人の聞き取りをやった人がいます。一人は東京出身、もう一人は地方出身でした。自意識の加熱と冷却は、それぞれに違うのですが、後者はオレンジレンジであっても、けっこうクリエイティブだったりするわけです。もう一つは、調査結果。10年ちょい前と比べて、ずいぶん爆(´・ω・`)ショボーンだなぁと思いましたよ。しかもかなり明確な差があるのも驚きました。
 午前中の第二報告もそうだが、「若者がたちあがる」「若者文化が立ち上がる」というようなことを、歴史的にきちっと吟味するとか、いろんなことが思い浮かぶけど。すごく勉強になりました。持ち帰ったことの一部は、月曜の社会意識論でしゃべりまくりました。報告者、討論者、司会者、運営者の皆様、お疲れ様でした。